震度6弱の地震を10秒前にインターネットを通じて知らせる。そんなシステムが来年を目処に実用化されるかも知れない。(電子情報技術産業協会(JEITA))
10秒。この時間で、火を消したり、ガスを止めたり、机の下にかくれたりできる。それだけで震災の被害は大幅に減少するという。今から10年前の阪神・淡路大震災も、死亡者の多くが地震後の火災によることが分かっており、地震後の火災を防ぐだけでも大きな進歩だという。
なるほど、と僕は記事を読み進める。と、「インターネットか?」と思った。そんなにどこの家庭でもユビキタスだとは思えない。テレビを中心にそんなネットワーク環境を整えようとしたソニーも、逆にパソコンを中心だと邁進するマイクロソフトも、ユビキタス社会は数年後を目論んでいるのではないだろうか。簡単に言えば、パソコンのスイッチをツケッパにしている人がどれだけいる?という問題。なら、テレビでの速報を警報に変えて、地震後ではなく、地震前に知らせればいいではないかと考えるが、それにしたところで、テレビが常時付いているとは限らない。
つまり、このシステムってどこまで実用性があるの?というところに行き着く。携帯はどうか。今でこそ少ないが、以前は鬱陶しいほど迷惑メールが来た。このメール配信を地震警報に使えばいい。そんなことは、言われなくても考えられているだろうし、おそらくすぐにできるだろう。地震が発生する前に、予報でもなく、速報でもなく、警報として知らされる時代が近々到来することは十分に考えられる。

ここで思う。10秒という時間。おそらく、システムを立ち上げると、改良を重ねて1分前とか3分前とか、もっと余裕をもって警報が発信されるようになるだろう。この3パターンで考えたとき、ふと、「僕ならどうするだろう」と悩む。
――10秒後に地震が来ます――。この警報には、僕に与えられた時間はおそらく6秒から7秒ほどしかない。大体、警報の内容を読むだけで1秒以上はかかるだろうから。となると、とりあえずタバコを消して、この季節ならストーブを切って、すぐに机の下に向かうだろう。
が、3分となると話は別だ。2分56秒から57秒の余裕がある。パニックになることを考えても優に2分は自分の行動が許される。となると、パソコンと、お金と、通帳と、お気に入りのDVDソフトまで運び出そうと考えるかも知れない。空腹の時、一寸だけ口に入れると余計に空腹が増すように、一寸だけ運び出せると欲が出て、結局逃げ遅れるという危惧が容易になる。
1分は?1分後に地震が来る。これは外に逃げ出そうと言うよりは、とにかく家の中の安全な所で地震が過ぎるのを待とうとするだろう。火を消して、ガスを止めて、懐中電灯とラジオ(そんなものが常時準備されていたらの話だが)を持って、狭い空間に四本の柱がたっている「トイレ」へと逃げ込む。うん、そうだ、これならいける。だから1分後に地震がくるという警報が、携帯電話など身近でONになっているネットワークを通して受けられると、今の自分の生活でも実用性があるぞ、と思えてきた。

いやいや、ちょっと待てよ。1分間って長さの把握は出来ているのか?10秒でもいいや、普段の自分の行動が、いったい何秒で、どのくらいのことができるのかなんて知らないではないか。それなら、何秒後に地震が来るって言われても、何秒で火が消せる?ガスが止められる?まったくもって未知だ。ワナワナ震えて、何もせずに机の下で固まるだけではないか?
そもそも、人間には「何秒」、「何分」で何が出来るのかなどわかり得ない、と諦めそうになる。が?ほんとにそうだろうか? 例えば、毎朝、駅まで何分だから何時何分に部屋を出る。と、だいたい決まってホームの時計は何時何分を指している。つまり、部屋から駅まで、毎日続けていると、僕らの体の中には正確な時間が流れ出す。
そうか、と思った。つまりは、常についている火はどこで、ガスの元栓はここで、それを消すのにどのぐらい時間が必要なのか、それを繰り返して体の中に刻み込むしかない。そうしていれば「いざ」という時に、10秒間、1分間の自分の行動がスムーズにいく。
避難訓練みたいなものかと想像した。だったらダメじゃないか、と思えてきた。小学生の時の避難訓練、警報機がなり、廊下に整列して、階段を降りてグランドに出る。ペラペラしゃべりながら、担任の先生に怒られながら。あれって意味があるのか?実際に、警報機がいきなりなるとパニックになって、廊下に整列?なんて出来るか?そもそも、整列したまま階段を降りることなんて慣れてないから、いざというときは押し合い圧し合いになるだろう。……全然、ダメじゃないかとため息が出る。

何がダメなのか。避難訓練が一年に数回しかないという点だ。僕の小学校でも中学校でも一年に一回だった。だから、予告された後に警報機がなり、どこかで非日常的な遠足気分が出てしまい、ついついはしゃいでしまう。避難する?その訓練?などとは全然思えないまま。

どうすればいいのだろう。今の自分の暮らしで考えてみる。例えば、寝る前の10秒間、もしくは1分間で、ガスの元栓を閉め、火を消す行動を毎晩くり返す。いざという時に備えながら、その行動に慣れる。慣れて慣れて体に覚えさせる。そしたら、いざというとき、慣れた行動を慣れた時間で実行出来るのではないか、うん、確かに実用性がある。
結局は、10秒前に地震の警報が送られてくるシステムといっても、それだけで安心ではなく、それを有効に使うには、僕の毎日の慣れなのか、と、まるで防災センターの誰某のようではあるが、思えてくる。
地震や天災は間違いなくやって来る。それは絶対に。だから、いつ来てもいいように、自分の避難行動に慣れることが大切なのだろう。早速、今晩からガスの元栓を閉める習慣を始めようと思う。

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10秒後の警告

2005年1月19日