Copyright (C) Shogo Suzuki. All Rights Reserved.

1対1
-me-                                (鈴木正吾著)

(一)










真ん中に、立っている。
いや、立たされている。
いいや、立っているのは、自分の意思か。
どっちでもいい。
とにかく
見世物のように立っている。
それが、ミィだ。

 








 ぼくは、自分のことをオレでも私でも自分の名前でもなく、ミィと呼ぶ。
 ミィは、自分なんだけど、自分じゃない気もする。

 だから、いい。
 そこが楽だ。
 現実逃避で、そうしている。
 逃避して逃避して、一周してしまって自分の背中が見えたような夜もあるけど、その時だって不思議なくらい「ミィ」は情けないやつだった。餌の在処にたどり着けない猫。野良、と呼ばれる猫。そんな野良猫だって、後ろ姿はもう少しマシだろうに、ミィは、もう、手の施しようがない。

 こいつの一番ダメなところ。それは、笑うことだ。
 楽しくも、おもしろくもないのに、へらへらして、笑って、だから余計に「いじられる」のに、それに気づかず、笑う。笑っていれば幸せになれると思って笑っている者の、後ろめたさのようなものもなく、ただただ、笑うのだ。
だから、何をやってもかわいそうには思えない。ぎゅうっと握れば握るほど、ある種の快感がわいてきて、むちゃくちゃにしてしまいたい「憎たらしさ」が、奇跡の塩梅でちりばめられているから、「ふつう」なら静観するやつも、ついついミィには手を出してしまう。というか・・・。

 学生時代、ミィはいじめられていた。
 それを認めたくなかったから、誰にも言ってなかった。来る日も来る日も、無意味に思える苦痛を強要され、「その時間」さえ過ぎれば、何とかなる、と思っていた。そう思えたことが、ミィにとっては救いだった。いや、「生きている今」を良しとするなら、の話だ。生きている今が良いなら、あの時、いじめられていた学生時代に「今だけだ」と思えたことは、時間に限りがつけられたことは、良かった。
今、生きているミィは、あの頃と何か変わったのか。

 言われるがままに突っ立って、
 為されるがままに成って居る。

 駅の中央出口、出てすぐのロータリー。
その広場で、ミィは一日中立っている。サンドイッチする看板もなく、誰かに「買われる」のを待っている訳でもない。ただ、素っ裸になって、ペイティングされた作品として、立たされている。見世物。水玉模様を描いた例のパフォーマンスでしょ、と年配の人は言う。若い女は、悲鳴をあげながらもしっかり凝視していく。男は、それも若い男子は不思議なことに、やたらと「くいついて」くる。遠くの方からでも、しっかりと凝視していることがわかる独特の雰囲気を帯びながら、ひとの身体を見ている。まるで計っているようにもみえる。スマホで写真を撮るのも、女より男の方が多かった。それは別に不思議なことでも何でもないのかも知れない、が、買い物袋を持った人が、女よりも男の方が多いそれに似て、なんだか変な気分になった。

 早朝から夜中まで。始発から終電まで。ミィは、ただ立っている。

 一日にどのぐらいの人に会うのか。
 一日に、どのぐらいの変に合うのか。
 一日は、どのぐらいくだらないことで出来ているのか。

 ミィは立ちながら、いちいちを数える訳ではないし、会ったところで話したり、驚いたり、泣いたり笑ったり飛び跳ねたり、そういった類いのアクションは「全く」しない。何度も言うが、ただ立っているだけなのだ。

 ミィが周りからじろじろ見られる分、「ぼく」はこちらからみんなを見ている。

 目の前で急に奇声を発し、ハサミで自分の髪を切り刻んだ女。ミィの裏太ももをナイフで刺して、隣にいた妹らしき少女に、「ほらね、生きてるでしょ」と言った少年。大半を配らずにゴミ箱に捨てるティッシュ配り。順番というものを守らないのは、おじいちゃんやおばあちゃんが多い。汗の量ほどもサラリーを受け取って居ないだろう汗だくのサラリーマン。

 ミィは、動かず、じっと見られている。
 その目を通して、ぼくが見た世界は、絶対的な普通に包まれていた。その普通を変だと思うか否かは、結局のところ個々人の判断だ。賢明な人はどうなのかを探ろうとする人ほど、不平不満が多い。それに同調して大きく頷く人は、おそらくは賢明な側にいる人だ。それが断定出来るほどに、普通というものの受け取り方の差異は、多くのことに繋がっている。長いベンチでお弁当を広げる女性は、OLやママさんに限らず、探り探られ、上っ面で笑っていた。

 昼下がり。よくそういう光景を見る。
 学生時代の時代の昼下がり。ミィは、Yシャツを切り刻まれ、ズボンも破られ、バケツの水をおもいきりかけられ、体育館の裏で、立っていた。動くなと言う命令が、未だ何よりも辛かった頃の話だ。あのとき、ぼくは、初めて「詩」のようなモノが思いついた。辛い身体をミィに任せ、
 ぼくは頭の中で「詩」のようなものを紡いでいる。
 


「青い空」


暢気な空が阿呆に見えます
ただ広く 広すぎて何もなく
何もないのに こんなに広い

理由は何かと尋ねてみたい
意図は何だと問い詰めてみたい

昨日も今日も 馬鹿に晴れ
天気予報じゃ 明日も晴れるそうで

そんなに笑ってばかりじゃ しんどかろうに

同情してみても
空はただそこにあって
どこまでも広いのです

行き詰まって ぶつかって
出口を見失って 寝ころんだ

そんなぼくにも
空は にこにこと晴天で 
気持ちよさげに青いのです

ずっと昔からそうでしたと
控えめながらに言っているようで
馬鹿の一つ覚えで 青いのです

ぎしぎし音を立てる頭の中が
ぎゅうぎゅうに圧迫されて

それを吐き出す言葉も知らず
ぼくは空を見上げて黙るのです

広く、青い ただそこにある 空の下
小さな自分に苛立ちが込み上げます

ふと、
一粒、
ぼくの頬に滴り落ち
急に軽くなった気持ちの片隅に
一瞬だけ 幸せな気分が芽生えまして

だけど次の瞬間には
何かを恐れて脂汗なんかをかいたりします

暢気な空は それでも相変わらず
広く、青く
羨ましいほどに阿呆に見えます



(二)



 学校も家も日本も世界も自分も、阿呆に思えた青い空。あの頃のミィには、何もなかった。悲しむことも楽しむことも、何から何まで禁止されていた。
 人の価値は、誰かが決めるモノだ。
 ミィは、中学に入った頃から、急に「きもい」と言われ始めた。
 それも、一人や二人じゃなく、「みんな」と称するに値するほど多数に、だ。手足が長すぎてキモイ。笑い方がキモイ。細すぎ、むかつく、きもい、変態、あっちいけ、となり、ミィは自分でも「そうだ」と思うようになった。
 高校を卒業した頃、ぼくは、ミィの顔を真っ黒に塗り、コンプレックスは隠すからいけないという「教え」にしたがってきもい手足を強調する服をきせた。多くの目が避けた。だけど気にならなかった。ただぼんやり頭の中で詩を巡らせ、周りの反応をぼくは見ながら、とんとんと肩をたたかれるまで、その存在にすら気づかなかった。
 彼女はとても小さな女性だった。

 あなた、背が高いのね、身長はいくつ?と聞かれたので、答えると驚いていた。
 高すぎるからではなく、兄とまったく同じだから、だそうだ。それが縁なのかどうか、彼女はミィに、駅前に立つモデルを依頼した。

 時給に換算すると、コンビニで働く外国人の方がリッチだ。が、ただ一日中、考えようでは立っているだけでいいのだ。それが辛くなくなる程、ミィの中学・高校時代は辛かった。
 渋るミィの背中を押したのは、ぼくだ。



「赤裸裸」


見られたくないモノを
必死で隠している

それがどんどん膨らんで
もし見られたらと想像するだけで

ハレツシテシマイソウニナル

知られたくないコトを
命がけで秘密にして

それが奥へ奥へとめり込んでは
僕の中枢で「全て」に変わってしまった

見られないために僕は見ない
知られないために
僕は何も知ろうとしない

透明人間に、なりたい

ぜんぶを開けっ広げてコソコソせず
セコセコもせずにただ普通に
誰にも見られることなく
居たいだけ

赤裸裸に
透明人間に

それが
一方的な僕の満足だということはわかっている

誰かに見せて、見られて、初めて
赤裸裸なんだということも知っている

だけどそうするには
僕の中枢で居座っている僕の全てが
破裂のスイッチを押してしまいそうで

ナンダカコワイ
ナゼダカムショウニコワイノデス




 ぼくはミィよりも恐れていたのかも知れない。
 卒業してからの先、立たされない毎日の過ごし方を。誰かと繋がって、その輪の中でうまくやっていく未来を。だから、ぼくは彼女のオファーを受けた。
 何かが無性に怖いから、なにもしないでおこう。
 考えてみれば、あの頃からずっと、ぼくもミィも変わらない。


 目の前のサラリーマン。
 三十の後半といわれればそう見えるし、まだ二十代だと言われてもさほど驚かないような容姿。
 に、して、倦怠感は半端ではなく、さっきからどこかに電話をしてぺこぺこしている。声もはっきり聞こえないし、実際に頭を下げている訳でもないが、ぺこぺこ、しているのだ。



「空と雑」


いったい 
何から手をつければいいんだろう

目の前は
くらむ程の空(くう)

なのに
相変わらず頭の中は
間の抜けた雑(ざつ)だ

影さえ濃い 真夏の午後
ストロをさしたプラスチックカップが
ベンチの上で溶けている

温くなって 不味くなって
乱反射した光が 風で揺られている

頭の中の混沌
目の前の単純
錯綜して あくびがでた

ああ、空は青い 
雲は白く、太陽は
すべてを真っ白にする

ぼくは 
最悪の状況を想像する
そして締め付けられるように焦燥するけど
尚早に動き出す若さもなく

昼下がりの公園で
一人だ

ずっと
前に倣えで競争してきた

当たって砕けて弾けて散ったら
キラキラ光る夜空の星さえ
敗北者に見えてきた

目の前から消えても
頭にこべりついた濃厚な像

なかなか動かない足腰腕と
渦巻くばかりの“考える頭”

「空は青い」と言ってみた

「雲は白い」と思ってみた

そして

「しぬほど暑い」と
手のひらでパタパタ扇いでみた

そしたら
なんだか立ち上がれそうな
気がした



(三)



 ぼくは頑張れ、とそのサラリーマンに念じた。
 彼は、そうして立ち上がり、やっぱり気怠そうに改札口とは逆に進んでいった。おそらくそちらはパチンコハウスだ。リズミカルに弾かれて、電飾と煙に包まれて「夢」を見るんだろう。そして現実を知ってからまた、明日もここで座るのかな、と考えてみたりして。



「個力」

一人じゃ無理だと諦めて
何もしないで千人集めても

やっぱり出来っこない

のは、

出来るとこまで一人でやって
足りない分を誰かに頼るっていう

誰でも足りないから 
ぼくがその足らず分の力になるっていう

なんて言うか
そんな気持ちがないから駄目なんだ

足りないことを知るために
とにかくやろうと思う

誰かの足りない分としてのぼくの力
君の力と合致して繋がった千人の力

個と個が集い団を成し
集団の単なる一つが
個ではない

一人じゃ足りないけど
一人の力は必要不可欠

足りないことを知った
個力で集まろう



 大量の人がはき出され、吸い込まれ、ラッシュ時の駅の改札口を見ていて思う。
 この力の総量はどんなに大きいのだろうか、と。だけど繋がることがないから、結局は一つ分なんだと。そう思ったら、ぼくはとても安堵する。



「気色」


見えず 聞こえず
感じることさえ 超えて

わかる

水でも空気でもない媒体を通して
伝わるように

例えばエーテル、光の類かな
テレバシーダトシテモ ムジュンシナイ

わかる、のです

手に取るように
心に溶けるように
頭の中に刻むように

強がって
泣きそうで
なのに笑って

そのメッセージを打っているんだろうな

聞いた話とぜんぜん違う
安心させる言葉が並ぶ

大袈裟に笑う絵文字とそれと
がんばるぞという
痛々しいまでの意思

泣きそうなのに
笑って強がって

きみの今が
送られてきたメッセージと真逆のそれが

ぼくにはわかる

これまでのふたりの全てが導き出すテレパシーのように




(四)



 繋がる。その根源的な意味が、ぼくには分からない。
 例えばエーテル。
 そんな媒体があればいいのかな、とも思うけど、それ以前にそろえるものが多そうな気もする。
 ぼくと誰か。例えば友達、恋人、ぼく以外の誰か。
 ぼくはミィを、その代わりにしている。

 そのミィを通して眺める「世界」。

 駅前ロータリーの人だかり。
 颯爽と歩く人と、淀む人の顔の違い。正確にはその色の違い。時々、ぼくはミィの身体の内部から突き上げるように願うことがある。顔色の悪い人を見ると、無性にうずく。



「踏みしめる、強く。」

願うとき。
ぼくは跪かず 
頭を垂れず

大地を
思い切り強く 
踏みしめる

アイウォント 
アイウォント

リズムよく
力いっぱい

アイウォント
アイウォント

ぎゅうぎゅう詰めになった世界で

喜怒哀楽を
踏みしめたい

春夏秋冬いつも必死で
耐えながらも笑い
涼しい顔で
踏みしめたい

時間いっぱい
踏みしめたい

広い方を見て
深呼吸。

どんより曇った空の向こう

ウン タッタッタ
ウン タッタ

アイウォント
アイウォント

向こうまで届け、と
踏みしめる、強く。




 リペイント。
 ミィの身体に彩色した「作品」を不定期で描き直すことを彼女はそう呼ぶ。描き直す間は部屋に籠もる。一日で仕上がる時もあれば、一週間、二週間、時には一ヶ月かかることもある。
 特殊な液で拭き取らない限り落ちない絵の具で彩色されたミィの身体は、入れ墨のようにも見える。制作過程でも風呂に入ることはできる。風呂から上がり、彼女は自分の作品、つまりミィの身体をじっくりと眺め、次の一筆をどこにいれようか考えるようにして、ミィを抱く。
 それもモデル料に含まれている。彼女がミィを抱くとき、必ずそのことに言及する。お金はちゃんと払っているから、私はあなたを抱く権利がある、と。完成までの、できあがってゆく過程の、つまりは途中のミィの身体が、彼女は好きらしい。ひとたび完成すると、さほど興味を示さない。完成したと告げられ、翌日から駅前に立つ。それがミィの「仕事」だ。



「街がきれい」


なんだか街がきれいだ

全体像として輝いている

雨上がりの秋の早朝の東京

すべてを飲み込んで
すごくきれいに眠っている

昨日、裏切られた

僕は
悔しさを握ったまま
復讐を企て
ドロドロしてた

できるだけシンプルに
最大限効率的な復讐

考えて考えて
なかなか寝付けず

結局、
阿呆らしくなったから、かな?

ベランダから見える街が
とてもきれいだ

朝の遠くのメロディ
メロンパンの匂いがする

でかいな、と感嘆する
そうだよな、と笑えてくる

この街は
ぜんぶを飲み込んで
なかったことにして

こうやって
きれいなんだろうな

僕もこの街で生きてゆく
飲み込まれ
なかったことにされる前提をもって

それなりに
幸せを願ったりして

ここで。
これからも。

なんだか
笑えてくる

街が
とてもきれいだ



(五)



 今の日本は、全裸で立っていても作品になる時代なのだ。
 不景気から脱却できず、新興国と呼ばれた国が世界経済をひっぱる中、日本のアートは、様々な点で世界に発信してきた。二次元を席巻し、三次元アートが旬な今、特に日本のボディペイントは注目されている。OKを出す政治家の、彼らにわかるはずもない「何か」が、確かに蠢いているのに、ただ、そういうものだからと規制緩和にOKする判断者。そんな判断者しか持てない国のさびしさ。

 日本には、地中に埋まった「何か」が、世界中に発信できるモノがあるのに、それを整理整頓して発信できる者がいない。

 大西洋沿岸から環太平洋へと世界の中心が移り、中国と極東ロシアがアメリカに対峙する中、日本はインドと、その日印を頼りにアメリカが。構図でいればそうなっている。
 それは一昔前のように軍事力でにらみ合うことでない。百パーセントピュアに経済だ。もっと端的に言えばお金だ。日本のプロダクトに代替製品が増えすぎて、それらがあからさまに安く、だから日本はプロダクトではなくアートを発信し始めた。
 ウラジオストクでは今、空前の日本文化ブームが起こり、コスプレした若者が、新潟へ大挙して訪れている。新潟は今、日本の玄関口と化している。
 インドでは、ムンバイを中心に南西部で大きな動きが起こっている。超高層ビルが何棟も建ち並び、秩序というものを習得したインド人が、自分たちの国を維新している。ゼロの発見以来の大躍進。大通りでもクラクションの音はそう大きくない。信号通りに渡り、待ち、混沌の中で淀んでいたモノがスムースに流れ始めている。血流のよくなった巨体は、中国をまたいで太平洋のど真ん中にどっぷりつかろうとしている。



「TRIP」



音も色も風もぜんぶ
極彩色の海岸通りで

トリップ バイ ハピネス

戦争と平和の間で暢気だ
ユーとミーのリズムでダンスだ

大空に向けた人差し指の先
過去と現在と未来ともっと先

予定も規定も安定も忘れて
このまま進むこれから先

トリップ ナウ 
ボクラ ハッピー?

今夜も忘れて今を踊ろう
手と手を取り合い
ユーとミーのリズムで……

ハッピーじゃないか!

極彩色の海岸通り
パナジの夕暮れが闇に変わる

闇と闇の間でぼくらは暢気だ
トリップしてダンシング

トリップしてスペンディング
トリップして、、、過ごしていく




 ぼくは、最終電車が発車すると、自転車で帰宅する。
 部屋に着くと、まずは作品以外の「汚れ」を洗い流す。そして綺麗になったら、新聞を読む。配達可能な新聞はすべて購読している。新聞を読んでいると、とても愉しい。脳内トリップして、寝付きが悪く不眠症が続いているぼくには、そのお供に最適だ。特に、酷いニュース、残虐な事件であればあるほど、読み応えがある。

 朝から晩まで、素っ裸で突っ立って、人間かどうか、ナイフで刺して確認しないと子供たちに分かってもらえないミィの境遇。それよりも「悪い」ニュースはあるのか。いや、あるかないかではない。時として悪いニュース「ばかり」という日さえある。無味無臭、温度も湿気も関係なしに、ただ文字列で知らされる出来事の一つひとつが、駅前広場でミィを介して眺めている「世界」に似ている。新聞の中で起こった激変をまったく感じさせない毎日同じで平穏な駅前。どちらの世界も、書きようによっては平和だし、書きようによってはそうではない。のっぺりと全体をみるか、細かく突いて詳細をみるか。

 普通に歩いている人の日常は、すさまじい「かも」しれない。




「3分間の正義」



ショーが始まる
開始のベルだ



ぼくは 
「正義なんて もって 3分だ」と
幼心に思っていた

制限時間内で 結果を出す ショー
決められた 台本通りの ショー

起承転結は一応あって
出来上がるストーリー

その分かりやすい善し悪し
完全なシナリオに
出来すぎのフィクション

決められた通り運べば
それがありえないことだと
理解しているのに

いつか ない交ぜになって

最近、現実に不満だ
だから、未来が不安だ
いっそ、過去にいって
つじつまをあわせ
リセットしたい



胸のブザーが
制限時間を知らせる

エンドロール
そして
次週予告
また 怪獣が街中を壊す
けど 最後は必殺技で

正義は勝つ

創られた敵・味方
造り上げられるカンタンな答え

3分じゃ倒せない敵が
実際問題、多すぎるよといって
ドリルを放り投げたのは もう随分まえだ

今は、
整理のつかない問題を
整理しようとして
受け入れるふりをして
違いが理解できずにいる



対岸に見えるのはきっと
対岸にしか咲かない花だ

だから
そこまで行って触れないと

ありきたりに苦悩して
あきらかに苦労して
手当たり次第に妥協するだけ

分かってる そんなこと



ぼくは3分間
息を止めて正義を眺める

体中の血液が悲鳴をあげ
脳内でカタカナのよく分からない成分が分泌されたら

どっち付かずの場所で安穏とするんだ

結局3分間
ぼくには正義が もたない
それが正義なのかも わからないまま



(六)



 いつから始まったのだろう。少なくともミィがここに立つようになってからはずっと工事をしていた。
 フェンスで囲われた向こう側は見えなかった。今朝、始発に合わせてやって来ると、工事は突如終わっており、その前に長蛇の列が出来ていた。
 老若男女、性別も世代も超えた人たちの群れ。そんな人たちが「止まっている」のが、ぼくには不思議だった。ここは新聞に載るような街ではないのでは、そこが何か、ぼくは知らない。とにかく異様な光景だった。これから素っ裸になって、直立不動を始めるミィよりも、突如できた長蛇の列は、奇妙だとも思えた。

 朝の通勤ラッシュ時、多くの人が長蛇の列に目をやっていた。ほとんどの人が、ぼくと同じく何のための列が知らないように思えた。多くの人が知らないコトで、同じく多くの人が始発電車よりも前からわざわざ並ぶ。この現象は、取捨選択が細部にまで可能になった情報社会のたまものかも知れない。必要か否かは、それを受け取る人によって決まる。

 結局の所、そこは北欧からやってきた大型の格安スーパーだった。開店セールは破格の大盤振る舞いで、根強い人気の北欧デザイン的なパッケージや人気が出てきた北欧ビールなど、好きな人には堪らないものが並んでいたようだ。それらの情報は、店先でがなり立ていた店員の呼び込みで知った。



「側道に咲いた花」


この花の名前をぼくは知らない
だから、勝手に名前をつけよう

この花は自分の名前なんか知らない
だから、勝手につけてもいいでしょう?

側道に咲いた花がひとつ
風に吹かれるまま揺られている

「仲間がいるなら呼んでおいで
一つずつ違う名前をつけてあげよう」

名前を付けた花が
今日は雨に濡れている

傘もささず
潔く濡れている

ぼくのことも好きに呼んでいいよ
きみはたぶんぼくの名前を知らない

名前のあるぼくじゃなくて
きみの呼ぶぼくでいたいから

傘もささず
ぼくも雨に濡れてみる

いつか晴れたら
思い切り太陽を浴びよう

それでいつか
枯れたくなったら
我慢しなくてもいいよ、ね?




 なかなか来ない救急車に、周りの人たちがいらいらしていた。
 タクシーを降りようとした人を後ろから原付バイクがはねた。
 その瞬間をぼくは見た。
 はねられた人の悲鳴が今でも耳に残っている。人だかりから外れて、原付バイクの運転手が立っている。呆然としているようにみえる。大学生、だろうか。彼は今、目の前の光景を何色で見ているのだろう。



「地下で光が一本、とても綺麗。」


視界の上限と下限
細く白い光が一本

きっと 永遠に下の方まで
同じぐらい 上にも延々に

さて、光が明るいのか?
いや、ココが暗いのか?

地下で光が一本、とても綺麗。

箱形空中都市の下で
自らの有無を問いつつ

僕は暗がりで君のことを愛し
君もまた見えない僕を撫でる

いま、何時何分何十秒だ?
もう、終了か? 始まる前か?

確かなのは白く輝く一本の光。
とても細くて頼りないけど永遠。
その光がとても綺麗な今日現在。

僕は、地下で……
明るい光にぶら下がろうと企んでいる。



(七)



 ようやく到着した救急車に罵声を浴びせる者もいた。野次馬は増え、被害者の様子はぼくには見えない。加害者は相変わらずっぼんやりしている。
 救急隊員たちの無駄のない動き。呼吸の一つひとつまで。離れて立つぼくのところにまで届いてくるピンと張ったような所作。あっという間に被害者は救急車に担ぎ込まれ、病院へと向かった。去って行く救急車に、罵声すら浴びせていた野次馬たちは、拍手で見送っていた。
 少し遅れてやってきた警察官に話を聞かれる加害者を見る者は、なかった。

 ミィは、雨にも風にも負けない木偶の坊なのか。
雨が降っても、台風ですらも、同じところに立っている。待ち合わせの目印になったのは、もうずいぶん前だ。最近は、シンガポールなどのテレビ局が取材にくる。「今日のボデア」と称するブログが人気だと知ったのは、ミィを見に来ていた女子高生たちが、目の前でおしゃべりしていたからだ。ボデア、と呼ばれているらしい。何かの略なのか。
リペイントの時に、彼女から教えられたのは、ボディアートの略らしい。ボケデアホの略かも知れないと思っていたぼくは、ちょっとホッとした。



「透明な箱の中にいる」


僕に見えるモノ全てから
僕は見透かされている

肉眼でとらえられない細部や
聞こえるはずのない超音波さえも

次世代テクノロジーが暴いていく
その情報は繋がり渦を巻いていく

ほら、吐き気がするほどの青空に
今朝も煙突の影がくっきり映っているよ

やがて
もくもくと煙が雲になり
どんより濁って雨が降るんだ

有害物質が傘を突き抜け
原因不明の病を疾駆させる

日和見的に避けてきたけど
いよいよ 追い詰められたらしい

ぼくは、透明な箱の中にいて
上も下も、前後左右どこへ行っても

ぶつかり 
跳ね返され

自由気ままな便利社会の中で
身動きがとれない

見せられるだけ見せられ
暴かれるだけ暴かれ

非現実的に思える世界の
物的証拠が積み上げられた上の方で

バランスの悪い 透明な箱の中で

じっと息を殺して
明日を待っている




 彼女の描き出す世界が、モノトーンからカラフルなモノに最近かわってきている。それがなぜかを聞くことはもちろんしない。ミィと彼女は、身体を重ねるときですら会話をしないのだ。彼女はミィのことを作品を描き出す台としか考えていない。
 花鳥風月のカラフルな世界。ミィがモノトーンになろうが、カラフルになろうが、物珍しそうにちらちら視線を送る人たちにはあまり感心がないのだろう。
 しかし、とぼくは思う。まるでミィをお地蔵さんか何かと勘違いしているのではないかと思う老婆が一人、ミィの前に座り込んでは独り言のように話をしている。あのおばあさんはどう思うだろう。そういえば最近、おばあさんは来ていない。カラフルな世界になり始めてから、一度も来ていないのではないか。
 戦争が終わってからの方が戦争だったこと。四人の子供を授かり、誰一人立派に大人にできなかったこと。全員、二十歳を前に死んだこと。ご主人との長い二人暮らしを終え、先に旅立ったおじいさんの元に一日もはやくいきたい、こと。おばあさんは、ミィの前で何度も同じ話をした。そして、毎日、どら焼きを一つ、買ってきてくれた。
 おばあさんの姿が見えなくなって、ミィの彩色は三つ目に入った。
 もう、死んでしまったのだろうかとぼくは思い、それはおばあさんの念願叶ってと喜ぶべきか、やはり悲しむべきか。おばあさんには、顔に大きな傷があった。それを隠すように真っ白に塗った顔。口紅は、真っ赤だった。目が覚めるような、赤。
 腰は曲がって、歩き辛そうだった。
 紺色の小さな巾着袋をいつも下げていた。
 財布につけた鈴が、よく鳴っていた。

 死んでしまったんだろうか。


 
「土」


靴底で弾くリズムが
新しい時間の始まりを告げる

全面ガラス
剥き出しコンクリート

角ばって
無機質な金属音

いつもと同じ……なのに

掘り返した大地のずっと奥で
埋もれていた 芽

土の中で芽生えた 音

ハジマリ。

こんがらがった世界の
絡まり合ってちぎれた優しさのような
未来だ

ひとつの塊になった過去の時間を飲み込み
分解した後に産まれる音

生誕と終焉
終わりと始まりが
混在するハーモニーだ


土の中。


泥まみれで
泣きじゃくった後
何かを背負い
また、
新しいモノを生み出す

創造と破壊の
無限のサイクルが渦を巻いている



(八)



 すぐに、その娘がおばあさんの孫だと分かった。制服を着た女子高生。顔というよりは穏やかに空を見上げる感じが、おばあさんそっくりだった。
 孫は悲しいと言っている。大好きだったと泣いている。でも、天国でおじいさんと仲良くしてねとも言っている。優しい娘だな、とぼくは思う。おばあさんは亡くなっていた。何十年も生きて、そして残していく形がある。孫がいる、子もいるのだろう。この世界に生きた形跡が、その証が、しっかりと残っている。
 ぼくは思う。ミィが死んだら、誰か泣くかな、と。



「0を描く」


模倣し 繰り返し
閃いて 自分なり

形になりそうな全てを
全身全霊で描いてきた

時には途切れそうな気持ちを
何度も何度もつなぎ止めて

ひたすらに まっすぐ
なり振りも構わずに

そんなぼくの描く画が「ゼロ」だとしても

悩んでは塗りつぶし
遠回りでも続けた結果だ

右往左往しながら集め
得てきたすべてだ

ゼロを描いた 数多の要素を
きらきら光る 何かに変えて

ぼくにしか描けない「ゼロ」を目指し
それを掲げて 前に立ちたい




 死ぬときが来る。
それは確実に来るのに、卒業式を待っていた学生時代とは違う。毎日、学校に行くのが憂鬱だった。だけど、卒業まで。卒業すれば終わる。それまでの、限定的な我慢だ。だったら死ぬまでの限定的な我慢。今も同じではないかと考えられなくもないが、ぼくはそう思えない。死はなぜか、ずっとずっと先の遠いところにあるままだった。


 気づいてましたか?


 そう言われるまで、ぼくは気づかなかった。
 今日で百日らしい。百日経っても気づかれなかったら、自分から声をかけようと決めていたそうだ。
 ユキと名乗った女性が、今日、突然、ミィのことが好きだと告白してきた。



「いきる。」


走る。間に合うかもしれないから。

走る。間に合わないかもしれないけど。

走る。間に合って欲しいなと思う。

走りながら思う。
間に合ったはずなのに、と。


時間は無情だ。
だけど平等だ。
なのに不公平だ。

空間はもっと異常だ。
歪み方が意地悪だ。

不足と過剰のバランスが
みっともない程にリアルだ。


頑張る。出来るかもしれないから。

頑張る。出来ないかもしれないけど。

頑張る。出来たらいいなと思う。

頑張る僕に誰かが言う。
もっと頑張ればいいのに、と。


他人は無情だ。
だけど正解だ。
なのに間違ってる。

本人はもっと異常だ。
歪み方が致命的だ。

結果と原因のバランスが
言い訳できない程にリアルだ。


食べる。お腹は減ってないけど。

眠る。とにかく忘れたいから。

夢見る。どっか遠い仮想現実で、


結局、いつも、同じようにため息・・・
結局、いつも、同じように諦め・・・


結局、いつもの時間に起きて、走る。頑張る。 



(九)


 ミィは何も話さないから、ぼくがユキとなる女性と話す。
どきどきした。これまで、自分に対峙するのは常に多数だったので、ひとりを相手にすると、どうしていいか分からなくなる。
 ユキは大学生だった。
だから時間があるのだと言った。その有り余る時間のほとんどをミィの側でただじっと眺めて過ごしたと。ぼくは、ミィのどこがいいのかを尋ねたかったが、なんとなくやめておいた。彩色しているとはいえ、素っ裸で突っ立ている男性だ。ダビデ像ならアートの切り口で好きな理由も応えられるだろうが、生身の人間なら、好きの意味合いが変わってくる。何より、ユキが好きだと言ってくれたミィのポイントが「間違っている」可能性があるのだ。思い違い。それを明示されるまでは、もう少し楽しませて欲しかった。

ぼくは、ユキの告白を受け、やっぱりうれしかったのだ。



「深、呼吸」



爆発、しそうなほど
パンパン、になった自分に


ふーっと、
深、呼吸


深い、深い、


ため息じゃなくて
呼吸。


生きているし、生きてゆく


なら
どうせ、なら


あんまり考えず


穏やかに
できれば
健やかに


そう。


そんなにムズカシイコトじゃ
ないかもしれない


うん、
ムズカシイコトじゃ、
ない


きっと


できる。


やって、やる。





騒音と轟音と雑然の夜の一瞬
僕は目を閉じて深く深く呼吸する。





「たぐりよせる」



無駄に白く 無意味に光り
確かに綺麗なロープが1本


必要性からいえば場違いで
だから足下でうなだれている


そのロープの端を掴み
引いてみたら面白いかも


だけど 忙しい 
高速回転の日常だ
やっぱり
ただただ 無駄な1本


嵐が来て 捲れ上がり
道路も屋根も吹っ飛んだ


だけど足下にはそいつがあって
汚く 水なんかを吸い込んで


ヌルヌルしたロープが1本
僕はうなだれつつ掴んでみた


意味無く 回したり
暇に任せて結んだり
ふと
続く限り 引いてみようと


引いて 引いて 引いて。


くっついてきたのは ゴミや屑や泥


倒れて落ちた 分かりにくい案内板


正論ばかりの 破れたルールブック


必要と思っていた無駄なもの ばかり


僕に残ったこの1本のロープで
無駄だったものから大切な何かを
きっとひとつぐらいあるだろうから


これまでの全部を
たぐりよせてみるつもり




 ユキはバーチャルな世界を生きていた。
だから、現実の中で見た、非現実のようなミィに恋をしたそうだ。
ユキはヴァージンだった。
自分の体は濡らさずに、性欲を満たすため、いくつもの動画サイトを見せられ、ユキが最も感じるポーズで自慰を強要された。
ぼくは拒否したが、命令されると従う「癖」のついたミィを止めることは出来なかった。「ぼくら」はユキに従った。



(十)



「宝もん」


また外れた宝くじ

破って投げたら空から降って
ヒラヒラと 現実を知る

舞い落ちた外れくじ
風が吹いてもびくともしない

こびりついた 現実を見る

結局、そういうことかと思う
結果、相当な確率だからと諦める

目の前の外れくじロードを
踏みしめて歩いていく


あれもこれも失敗だった

どうみても全部 外れくじだ

夢を夢だけに終わらせないと
飛び出してすぐに躓いた夏

すりむいただけで大袈裟だったな
恥ずかしいくらい弱虫だった

次々に連鎖して、一列に整列する
これまでの
失敗・軽率・浅はか・無知

これだけ並ぶとおかしなものだ。

僕にはこれだけの生きた日々がある

僕には、こんなにも宝もんがある

なんだか不思議だ
そう思うと、次に進める気がする




 ユキの声は、どこまでもバーチャルだったが、笑い顔は、なぜだか完璧にリアルだった。




「空中の魚」



正解と不正解の間で
ドキドキしている

現実と幻想が交差して
ずっと待っている

奇蹟(ってやつ)

目の前を 鮎の稚魚が泳ぐ
或る晴れた午後の交差点

赤信号だ

遠い遠い ずっと向こうまで
この道をゆけば いいのだろうか

空中の魚は踊る
愉しそうに舞っている

酸素とか不可能とか非現実とか
そんなものを全て凌駕して

目の前に現れる

現実を幻想にして
僕は、信号待ちをしている

気付かないふりで
空を舞う魚の群れの

そんな夢の世界で……




 ユキは、ペイントをする彼女に嫉妬していた。
 マイン(ミィのことをユキはそう呼んだ)、つまり「わたしのもの」を勝手に使って欲しくないと言った。
 彼女の部屋がどこなのか、ユキはミィにしつこく聞いたが、ミィは何も話さない。ぼくも言わなかった。彼女とユキは違う。どちらも所有物としてミィを扱ったが、ユキのそれは、少し感情が入りすぎていた。
 スマホの画面を食い入るように見つめ、バーチャルに恋をするユキ。
 同程度でユキはミィを扱い、リアルな感触「だけ」を楽しんでいるようだった。リアルな質感だけをミィに求めている。ミィに告白するまで通い詰めた百日。ユキは、「私にとって百日は、たいしたことじゃない」と言った。スマホの画面に並ぶよく分からないツール。それらをゲットするのに、最長で一年間、クリックし続けたという。ユキの体内時計は、スタンダードからして少し違っていた。

 ぼくは、ユキとさよならした。
 ミィが、走り去るのをユキは追いはしなかった。
 ユキは、手を振りながらありがとうといった。「私、なんだってそうだけど、デリートするときはアリガトウって言うようにしているの。だってそうでしょ、同じ時間を共有して、それってとても感謝に値することだもの」と言ってたのを思い出した。

 ユキと別れて、ぼくは再び、対ミィとの生活に戻った。
 ミィを通して眺める対大勢。




(十一)



「人と人と人と人」



人と人と人と人
隙間から
真っ青な空の
ポスターが見えた


急な階段
滑るスロープ
天井の低い地下道には
無感情な騒音が
ただ響いている


頭上で矢印は
絡まりながら交差している


とにかく、
コマーシャル
コマーシャル
コマーシャルだ


人と人と人と人
もたつくこと
曲がること
止めることや
笑い出すことさえ
許されない
……他人同士


右も左も前も後ろも他人
黙々と 真っ直ぐ
身軽でいて邪魔にならず


同じペースで時間通りに
進んでいくだけ 
流されるだけ


使いすぎたあちこちに
最近、ガタがきている



人と人と人と人
ようやく出た地上は
また、暑くなったようだ




 ここ最近は、うまく力の抜けた状態を目指している。
 どう思われ、どう思い、何を見られて何を見るのか。そういう行って帰っての時間と距離を、できる限りシンプルにしたいと思っている。
リペインしながら、彼女はミィの身体を撫で回し、ため息がでるほど美しいわね、と言った。ため息をつきながら、ミィを抱いた。


 俺、昨日までずっとアムステルダムにいたんですよ。


 あと十分でちょうど正午になる頃、突如目の前に現れた若い男性がミィに話しかけてきた。駅前の大きな丸時計は、鳥の糞だらけだ。夕方五時にかすかにチャイムを鳴らす以外、これといって特徴はない。が、ぼくにはその時計がとてもありがたい。ひとつの明確な軸になってくれる。時間という軸がないと、ぼくには寄りかかるところがない。
アムステルダム帰りの男は、ケンジと名乗った。




「匙」



投げられた匙を踏んづけた夜。

諦められたモノ、ばかりかと
実現しなかった夢だらけかと

高層ビルの下で ぼくは、思ったりする。

それでもすくい取り
かき混ぜては調合して

特効薬的な何かを
この現在に効く妙薬を

探し求めている人はいるのだろうか。

そんな、気の良い馬鹿は
もういないのだろうか。


投げられた匙が頭に当たった。


今まで諦めていなかったのかと
なのに、諦めてしまったのかと

信号を待ちながら、悲しくなった。

アジテートするものが
簡単便利で使い捨てなら

あとは機械で
一から十まで創られる

悲しいけど、諦めが正解にも思える。

一から十まで
あとは先人の創り出した機械に任せて
そんな彼ら(機械)が、
オートマチックに整えていく……のか……

投げられた匙を拾って
それをぼくは、上に放り投げた。

誰かに当たればいいのにと、他人にあずけた。




 「なんかみんなアジアばっかで。女子とかはカナダかオーストラリアでしょ。やれ遠いとか高いとかでヨーロッパ行かないから、俺はあえてヨーロッパ回ろうかなって。たまたまうちの兄貴が、東京でヨーロッパの、なんて言ったかな、よく分からないけど、専門で?やってっる会社に勤めてるから、パスだけとってもらったんですよ」



(十二)



「取っ手」


取っ手の無いドアの前で
ぼくは腕組みして考える

とっても重いドアの向こう
聞こえるだけで 覗けない

楽しそうだな……
開かないかな……
無理だろうな……

取っ手は無い、だからぼくは
向こうも見ずにあきらめて
肩を落とし トボトボ帰る

「そんなことにも もう慣れた
ドアは重いし きっと開かない」

不可能な現実だけ
しっかり覚えて
呪文のように 丸暗記 丸暗記

取っ手の無いドアは多い
開く鍵を見つけても取っ手が……

結局、いつも取っ手がない。

取っ手のないドアの前
押しも叩きもせず ぼんやり突っ立って

まだやるの?と 呆れられるけど

とっても気になる ドアの向こう
絶対に行きたいと 思ってるんだ



「いいっすよ、ヨーロッパ中の新幹線が乗り放題なんですよ。レールパス。パスポートより、レールパスの方が大事だったな。それにしても、ヨーロッパはでかいですね。最初パリに入って、そこから南フランス、イタリア。イタリアからスペインに行ってぐるっとね。ポルトガル、最高だったなぁ。ポルトの港で知り合ったおじさんに聞いたら、スイスが最高だったってゆうんで、そのままスイスに行って、リヒテンシュタインで切手買って。すっげぇ、小さい国があるんですよ。俺、知りませんでしたよ。そんで、そのままドイツに入って、シンデレラ城みたいなお城みて。有名らしいですね、ノイシュバンシュタインって。それとあれ、モンサンミッシェル。この二つは今やザ・世界遺産ですよ。そのノイシュバンシュタインをみてからロマンチック街道というかバスで回れるルートもあったんですけど、ほら、パスがあるから、レールパス。ミュンヘンからベルリンに行ったんですよ。ベルリン。いやぁ、良かったです。俺んなかのランキングではベスト3に入りますね。ベルリンに結構いたんですよ。友達ができたんで、しばらく居候させてもらってました。ライプチヒって知ってます? めちゃくちゃアートですよ。お兄さん、好きかも。ほら、お兄さんもソッチ系でしょ?」

 延々話し続けるケンジは、夜中までミィの前にいた。最終電車が行っても、帰ろうとしなかった。

 泊めてくれません? とケンジが言ったのは意外だった。
「なんかこんな時間になっちゃったし、今から宿探すのも、ねぇ、なんか面倒だから」と、ケンジは笑った。
ぼくにはよく分からないが、これが世界を一人で歩いて、そんな「無意味なこと」をして、得られる最大の功績なのかな、と思った。




「システム」


A→B→Cは 順番通りにシステム
昨日今日明日の 時間割もシステム

泣いたあと 笑えるまでも
おおよそ予定通りの 空腹も

みんな、システム。

そんな現代社会で
ぼくは予定時刻に地球の裏側に行き
やはりでかいことを実感したりする

退屈な高速ジェット機の中
それもぜんぶ システムだ

システム&システム

積み上げて高層化した不安定な屋上
そこで ぼくらは あぐらをかいている
あくびして 眠って起きて また眠るまで

複雑に絡み合った
容易なシステムの中にいる

信号機のような明白さで
止まれ、進め、の指示を待っている


自動ドアを 手で開けた感触
止まったエスカレーターを
駆けのぼる違和感

当たり前のように動いている
一つひとつが
ある時 止まってしまうと

違和感を撫で回して
全部 諦めたくなるだろうな

白紙に戻して 狩りに出たくなるかも知れない

そんな空想世界で生きる夢をみながら
その術さえ知らない現実に愕然とする

愕然としては便利に甘えたまま
システム、システムと愛でるんだ


簡単操作で動く百万馬力を手にした者が
スイッチの前で不敵に嗤っていても


話しかけることすらせずに
それを上回る千万馬力をこしらえようとして

また新しい スイッチを作る

赤信号の前で ぼくは 考えている
青信号になれば進むつもりだ

これまで通り
このシステムの中を。



 ケンジは、シャワーも浴びずに床で寝た。相当疲れていたのだろう。小さな男の子の寝息のように、小さく、小さく、眠っていた。



(十三)


「everyday」

丸い机と四角い椅子
三角形のプレート上に
楕円のオムライス

ケチャップは直線
スプーンは曲線
水は液体 ぼくは何だい?

五角形の壁掛け時計
六角形の窓から陽が射している

光が波打ち ピピピと音をたて
バーコードが膨大な情報を読み取る

掌で転がした紙くずのような過去
掌で転がしている


まるでゴミのような
毎日。


一秒間を細分化して進むリズムで
二等辺三角形の斜面を滑り落ちる

空き缶と一緒に
燃えないゴミの方へ
燃やせない大切な自分を

燃えない理由を探しながら


台形の面積を求めなさい
円周率を答えなさい
この世の中に存在する
全ての多面体を
平面的にとらえなさい

星が綺麗だという手紙をもらった
首を傾げて見上げるぼく

ただ一つだけ
正解を探して回る

ぼくは旅人

毎日の中で転がりながら
汚されながら ただ角を取り

丸くなることを強いられる

毎日 
毎日 
毎日 
毎日

ただ、丸くなって他人と擦れあい
その時の多少の摩擦熱で

暖まりなさいと
強いられる人生

道は一本じゃない
たぶん立体でもなければ
夢でも、ない

ただの平面を
転がりなさい

ぼくは角をとり
この単調な平面を

転がりなさいと

エヴリデイ ゴーズ オン


 翌朝のケンジは、昨日とは打って変わって話さなかった。震えるように眠って、目を覚ましても、どこか遠くを眺めていた。ちょっとやばいことになった、とケンジは言った。それ以外、何も言わなかった。慣れた手つきで葉っぱを紙で巻き、濃い臭いと煙を吐きながら吸っていた。ぼくには彼が、痩せすぎているように見えた。不健康にげっそりしていて。

 もう死んでもいいかな、って思える程、生きるっていうのは可能なのかな。
 ケンジは、たぶん、ミィでもぼくでもなくケンジ自身に問いかけていた。

「あのさ」
 ケンジは、少し躊躇しながら、お兄さんってストレート? もし、なんだったらしゃぶるけど? 泊めてもらったから、安くしておきますよ。興味あるんだったら、うん、特別に生で最後までいっちゃっていいっすけど。

 何も応えないミィに、ケンジは声を荒げ、なんだよ、馬鹿にしてんのかよ、そうするしかなかったんだよ。と言い捨てて帰って行った。
ケンジが帰った後、ぼくはふと我にかえり、時計を見た。
 もう、午前十時だった。
 今日は、駅前に立つのを休むことにした。初めてのことだった。



「ゆめ」


それは、振り返った時
はじめて気づくもの

きっと、振り返っては
後付けで形づくるもの

それが、ゆめ。


ピンチの時には引っぱり出して
丸めるように転がしながら
昔から見た今の自分を
再認識すればいい

あやふやで
ぷにょぷにょの、ゆめ
その姿形が「今」なんだって
そう思えるぐらい


ゆめに向かった「今」を生きてますか?


そんな声も聞かないフリして
時間割通り年とってませんか?

明日が無限だった時に描いた
抽象的な未来の世界に、
そんなゆめの段階に、
立って居るんだ

ここが、つまり、ゆめの形

ここから、また、ゆめの続き


 翌朝、夜明け早々に、佐伯と名乗る女性が、ミィの写真を何枚も撮りはじめた。昨日も来たが居なかった。そう言われて、ぼくはとても後ろめたい気がした。彼女にばれなきゃいいな、とそればかりを願っていた。
 キムさんとね、話してて・・・
 佐伯はミィの細部を撮りながら、彼女の名前を口にした。ぼくはハッとする。知り合いなんだろうか。キム。ま、珍しい名前だが、かぶりがないともいえない。韓国にいけばほとんどがそうだ。ここが日本だから違和感があるだけ。違う人物である可能性だってある。
 怒ってたわよ〜。
 昨日、佐伯がここに来て、ミィが「なかった」ことをキムに言うと、怒っていたらしい。、、もう、ばれていたのか。
 ぼくはケンジのせいだと言い訳したい。
 毎月決まった額が彼女(=キム)から振り込まれているが、それは一応、毎日、始発から終電までという時間制の給料だ。それを一日、無断で休んだ。それも、動くはずのない、「無い」はずのない、あの鳥の糞だらけの時計台と同じレベルで存在すべぎ彼女の作品が、お金を払っているにもかかわらず、彼女の意思に反して、無い。あるべき所に、無い。それは、ぼくが悪い。どう言い訳してもすまない。風邪で休むとい理由は、端から無いのだ。彼女は、そういう人間的な理由で休むことはできないけど、大丈夫? と最初に聞いていたのだ。雨の中でも嵐でも。木偶の坊のように・・・。
 
 キムがやってきたのは、佐伯が一通り撮り終わって、どこかに長い電話して、なにかを発注して、それからすぐだった。彼女は、佐伯に、ね、いいでしょ、と笑いながら言った。現れたいきなり、それだけ言った。ぼくはどきどきしていたが、彼女は怒っていなかった。
 彼女と佐伯が話す。その内容をぼくは勝手に聞き、何となく理解する。彼女から次にどうするからという説明はない。寸前に、持っていかれるだけ。
 どうも、佐伯という女性は、岡山でジーンズを作っているらしい。それを東京で売り込む中で、ボデアのサイトを知り、この北関東の地方都市の駅前広場までやってきたようだ。佐伯は、ミィを広告塔にしようとしているらしい。
 彼女は、断るはずだ。ぼくはそう思っていた。今回のようなオファーは今までにもたくさんあった。が、彼女は広告には使わないと断固として受け入れなかった。
 だから、今回も佐伯の要求は通らない、はずだった。しかし、もうすでに話はすんでいるらしく、佐伯は新作のジーンズをミィにはかせ、上半身だだけを彼女がペイントする。それも、原宿や青山に「展示」するらしい。
 急な展開だった。佐伯という女性と彼女の間にどんな関係があるのか。



[つづく]


Storiesに戻る