安全
2007年05月06日
大阪府吹田市にある「エキスポランド」で悲惨な事故が起きた。運航中のジェットコースターでの死亡事故。大型連休の晴天下、19歳の尊い命が奪われた。

遊園地という場所は、絶対に安全であってほしい安全地帯のひとつだ。その絶対があるからこそ、ぼくたちは絶叫することができるし、スリルを「楽しむ」ことができる。惹きつけようとする側と、惹きつけられる側の間で、アトラクションが「絶対安全」を確保できないなら、それは存在する意味を失う、とまで言えなくもない。

いわば遊園地側の生命線。それぐらいの緊張感が、毎日繰り返される「チェック」の中で保たれていたのだろうか。原因究明を急ぐべきだ。そして、その原因が仮に「ヒューマン・エラー」からきたものなら、ぼくは最大限の非難を浴びせたい。なぜなら、列車や飛行機、ここ最近続いている「悲惨な」事故の多くがそれを原因に起こっているし、そのために取るべき対処法を必死に考えているのだ。そんな中、あんな猛スピードで、あんなに「危険に見える」動きをするジェットコースターにおいて、活かされていないのなら怠慢と言われても仕方がない。

同時にこうも思う。何か一つの「事故」があってから、いつも声高に安全を叫んでいるような気がしてならない。エレベーターにしても、湯沸かし器にしても。事故を起こした翌日(つまり今日)、エキスポランドは営業を中止し、全国にある事故を起こした同型のアトラクションは、安全の再確認のために全面的にストップとなった。誰かの尊い命が奪われてからでは、完全に手遅れなのだという「常識」を、いつまでも分からないでいるように思えて哀しくなる。

さらに、ぼくが小学生の頃に開かれていた「花と緑の博覧会」で、園内を回る高架式水上ボートが大事故を起こし、その悲惨な映像が何度もテレビで流され、その映像がぼくの中で鮮明に残っている。それなのに、誰よりもそれを忘れてはならない遊園地側が、毎日の惰性の中で忘れてしまっていたのではないかと疑いたくもなる。

安全を確認するという行為をマニュアル化することは必要だろう。しかし、そのマニュアルを一通りザーッと流し見ただけでは、確認にすらならない。今回事故を起こした「風神雷神U」という乗り物は、今年に入ってからのチェックで「十分に安全」とする基準に達していたと報告されていたらしいのだ。どこが?と、言いたくもなる。

危険に思える「動き」を売り物にして人を惹きつけるジェットコースターが、死を引き起こす危険を持っているなど、これほどの脅威はない。

これを教訓に、などという言葉は、犠牲になられた方を想うと決して口にできないが、せめて、今後「絶対」に起こらないよう全ての可能性を尽くして実現させるべきだ。絶対安全が実現して初めて、乗り物チケットを販売してもらいたい。「もう一度チェック体制を見直そう」などと、悠長なことは言ってられないような気がする。



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