足踊る大地

鈴木正吾著


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2回 / 全10回】


 そうやって、移り住んだデンバー。結局、ビザの関係で、家族そろって全員が一緒に行くことは出来なかった。デンバーで、初めて、父が働くレストランで、見たあの白い皿。何もない皿の上で、いろんな料理が、踊り出すようだった。多国籍という言葉から想像する料理は、何でもありだったし、逆に、何も無いに等しかった。単純に言うと、想像できなかった。それはあの頃の僕の中の、アメリカというものと似ていた。

 お肉か、魚か。野菜があって、ライスがあって。いや、アメリカだから、パンか。そんなことを、皿を凝視しながら考えた。なぜか、とてもカラフルだった。渦を巻いた丸いキャンディー。くるくると吸い込まれていくような、それからの日々。出てくるのは、僕が食べたいと思って注文したものではない。この皿の上で、展開されるものをどれだけ愉しめるか。すべての鍵は、そこにあるのだ。

 あの時、それだけがはっきりしていた。母と僕は、向かい合わせに座り、父が、他のお客さんの対応をする合間に、僕たちのテーブルにやって来た。「久しぶりに飲むか?」という父に、母は、あまり見せたことのない表情と声音で、「じゃ、泡にしようかしら」と言った。にっこり笑って、父は「かしこまりました」と応えた。
 
 二人の間に流れる、空気と時間。そこには、僕がいない。デンバーという、東京から九千キロ以上離れた、異国の地で感じた独りだった。「プランは、どうする?」と、父は聞いて、僕は応えることができなかった。何が欲しいのか、何がしたいのか。それだけは、はっきり言えと幼い頃から耳にタコだった。だからか、自分のしたことぐらいは、はっきり言える男になったと思っていた。だけど、気が付くと、分からないことを素直に分からないと言うことができない男になっていたようにも、この時、強く思った。「コーラでいいか?」と父が言って、僕は頷いた。頷いたというより、うつむいた僕は、真下の皿を眺めていた。

 大きくて、何も無くて、ただ白い、皿。その上に出されるだろう料理を想像して、それを食べ終わってからのことを出来るだけ考えないようにしていた。まずは、何が出されるのだろう。うつむいたままの僕。母にはスパークリングワイン、僕にはコークが運ばれてきた。母は、僕に向かって大人の声で「乾杯」と言った。グラスとグラスが、小さく、上品にシャロンと音を立てた。僕はコーラを飲まず、そのまま横に置いて、また白い皿を眺める。カラフルなキャンディー以降、何も浮かんでこなかった。出たトコ勝負だと、腹をくくり始めた頃、突如、父が、皿を取っていった。

 「え?」と思わず声を出した僕に、「さっきから、おまえ、どうしたんだ?」と父が聞いた。母は、「緊張しているんでしょう、こういうところ、初めてだから」と、また、いつも見せない顔で微笑んだ。それが、無性に腹が立った。
 
 白い皿が引かれてから出てきた料理は、どれも旨かった。生まれて初めて食べるものばかりだった。例えば、茄子は食べたことがもちろんあったが、あんな風に食べたことはなかった。お肉も、それまで食べてきたものと同じだとは思えなかった。白い皿を見ながら、不安だったこと、多少残っていた怒りのような無力感。そういうもの全て、「料理」が吹き飛ばしてくれた。かき消してくれた。僕は、小学生の頃よりも、中学時代よりも、これまでで、一番充実して、楽しい日々を結果的にはデンバーで過ごすことになった。
 
 大学進学については、両親の説得に骨が折れた。僕は、一人で東京へ戻り、大学へ行きたい。日本の大学に通いたい。デンバー暮らしが水にあった母は、地元の大学を勧めた。周りの日本人やシンガポール人にいろいろ聞いて、アメリカの大学を出た後、日本やアメリカで働くのに困ることはないと、確信しているようだった。

 父は、レストランの経営が思うように行かず、シェフと二人で、今後の対策に追われていた。共同経営者(アメリカに来て初めて知った)として、あちこち走り回っていた。僕としても、デンバーの暮らしは悪くなかった。多くはないが友達も出来たし、クラスメイトの中で、「任される」ことも多かった。だけど、一つの教室で、多種多様な人達が生活するうちに、日に日に増してきた日本人であるということ。なのに、日本の事をあまりにも知らないという事実。このままでは、いけないという思い。それを言葉にして、両親に説明するのは難しかった。なぜなら、それは言葉のままの意味ではなく、日本のことを知りたい(知らなければならない)という中に、やはり、日本に戻りたいという明確な気持が混じっていたからだ。戻りたいということを両親に言うのは、気が引けた。デンバーにやって来たことが、僕にとって成功か、失敗か。両親には、それが常について回っているように見えたからだ。決して口には出さなかったが、はっきりそう感じていた。そんな両親には、「失敗じゃなかった」と言ってあげたかった。
 
 最終的に、今の東京の大学に通う事になったのは、仮想現実でのコミュニケーション学を学ぶには、どの大学よりも進んでいたから、というぴったりな理由づけが出来たからだ。ハイスクール時代、クラスメイトの間で流行っていたゲーム。そこから派生したバーチャルなコミュニケーションツール。それが、一つの学問になり、将来的に大きな可能性があるという予測。正直、それがどうしても勉強したい訳では無かったが、それが一番いい理由だと思った。

 目の前の景色の中に溶け込んだ仮想現実が、現実のように「感じさせてくれる」第六感。その感覚が、目や口、鼻、耳、舌よりも敏感に反応するところ。頭でもなく、心でもない。そのちょうど真ん中の、一番、説明しにくいところを刺激してくる。時には気持ちいいし、不快でたまらないこともある。簡単な数個のボタンで、コントロールできるコンピューターゲームではない。身体全体を使って、進みたい方向へ舵をきらないといけない世界。その中での、コミュニケーション。

 チリリ。タッチ・リクエスト、ナウ。

 誰もいない一人きりの空き地。誰かが、僕にコンタクトを取ってきた。ハイスクール時代にトリップしていた僕は、慌てて、ヘッドセットをかけ、リクエストに応える。

 ハロ。

 相手は、男だった。その背後に、女もいた。とてもザラザラした印象の二人だった。カップルかな、と思った瞬間、「そうですよ」と男が応えた。ゴーグルから透けて見える「空き地」が、みるみる空港のような場所に変わる。風が生ぬるい。頭の中のコトバが、相手に伝わり始める。この世界のスタートだ。

 二人は、「探し物をしている」と言った。「何ですかそれは、見つけにくいものですか」という、相手が示した定型文の中から選んで問う。探しているのは、鍵だという。次へ進むための鍵。それは大変だね、と僕は、キョロキョロと辺りを見てみるが、そこには何もない。「まだまだ探す気ですか?」と、また定型文を放つ。まだ、探す気だと、二人は言う。まだ見つかっていないとも言う。そこで僕は気づいた。

 てっきり、持っていたものを落としたのだと思っていたが、ゼロから探している最中なのだ。「夢の中へでも、行く気ですか?」と僕がフリーテキストで尋ねると、二人は微笑んだ。「やっぱり、ご存じなのですね」と言った。この二人は、僕がスペース(と呼ばれる空間)に浮かべておいた一つの詩に、何かのきっかけがあるような気がして、コンタクトを取ってきたのだという。

〈飛びたいワタシ〉
ワタシは、飛べない/けど/飛びたい/強く、思うこともしないで/飛べない、と思うばかり/できない自分を/上塗りしていた/だから、/飛べないんだ/飛べないワタシが今日もひとり/飛びたいワタシを隅に追いやる/笑われたくない/恥もかきたくない/守るほどでもないけど/捨てるには惜しい現状/それを変えてまで/必死になるには/歳をとりすぎた/そして今日も/飛べないワタシのままだ/大空を見上げると/何もない空が広がっている/地面(ここ)にあるものさえ/大空(そこ)にはないのかも知れない/飛べないワタシが頷く/だから(ここ)でいいんだ、と/飛べない今日がまた/必死で飛びたい明日を追いやった

「結婚しようとか、そういうのではないんです」
 
 男の方が、煮え切らないため息を漏らす。女は、隣で黙った。溢れる言葉を飲み込んで、半ば諦めるような女の沈黙。男は、自分たちの事をたくさんしゃべった。お互いにまだ、リアル(本物)を見せ合っていないという彼ら。キスもしたし、抱き合ってもいるが、それらは全て、バーチャルの世界でのこと。本物に極力近づいた、偽物の体験に過ぎない。それ以上、先に進む(結婚)のが、怖いのだろうか。飛びたい自分が、飛べなくて、飛ばなくてもいいと思うように。

 僕には、正直、よく分からないでいた。この詩を書いたとき、僕はデンバーのニュークラスで、クラスルームの隅っこで、上手く伝わらない英語に四苦八苦していた。そうして書いた詩が、これだ。現状でいることへの不満と執着を書いたものだった。
「今に、不満があるのですか?」
 僕は、僕なりの言葉で二人に問いかけてみた。「私は、ね」と、女が言った。その言葉を追いかけるように、男も「なくはない」と言った。会話は、それきり途絶えた。

 昔、井上陽水は「それより僕と踊りませんか?」と歌った。僕は頭の中で、そんなことを考えていた。オートチューンが、僕の頭の中を拾い、井上陽水の歌う『夢の中へ』が、デジタル音ではなく、アナログの、とてもざわついた音で流れてきた。女は、それを聞きながら、リービングした(立ち去った)。僕は、空港のようなところで、その男と二人。金属質の色と空気、同系色化した人群。加速するムービングウォーク、キャリーカー、笑いながら通り過ぎる旅人たちの声と音。その混沌の二人。僕は、ゲートを出て、ゆっくりと滑走路に向かう、飛行機を眺めていた。

「リアルカメラで、つないでもいいですか?」
 
 突然、男が言った。一瞬、僕にはその意味が分からなかった。ちょっと考え、「それは、ちょっと(嫌だな)」と、僕は渋り、「そりゃそうですよね」と男が言った。リアルを見せ合う。女とではなく、僕と。それは、どういう意味だろう。僕は興味を持った。大学に入ってから本格的に始めた「この世界」で、何人もの人と出会い、何人もの人と話してきた。だけど、リアルカメラでつなぎたいと、リクエストされたのは初めてだった。
 
 お互いに、見せたいところだけを見せて、それありきでコミュニケーションを取ってきた。言わば、リアルを隠すことは、パンツをはくようなもの。一種の礼儀だと、僕は思っていたのだ。それをつまびらかにしても良いかというリクエスト。もしかすると、十九歳の僕が、まだ知らない現実世界の関わり(関係)と同じように、「この世界」にも、そういうものが存在するのだろうか。考えてみると、現実世界でも、男と女が出会って、恋をすれば、簡単にパンツを脱いでいた。

 特に、ハイスクール時代。クラスメイトたちの恋は、とてもオープンだった。みんなが、若さの中で特権的に恋をしていた。そして、恋をすることに対する、崇拝とでも言える何かにとらわれていた。僕も、恋をした。台湾から来た女性を好きになった。彼女と僕は、クラスリーダーだった。恥ずかしい程、何も知らない僕。彼女は、だいたい、いつもリードした。そして、それについていくだけで、恋をしていたように思っていた。彼女が、台湾に戻ると言った十七歳の春。僕らは、さようならをした。あの時、かたくなに守ろうとしていたモノ。僕が、脱げなかったパンツ。この時、男が、つなごうとしているリアルが、例えば、そういう類のものであるなら、僕はまた、無知から来る“ノン”を繰り返し、そこから先に行けないのではないか。

 「つないだことは、ないですが」と、僕がつぶやくと、男は慌てて、「いいです、いいです、変なことを言ってすいませんでした」と、今度は彼の方が拒否してきた。ここで、「そうですか」と引き下がって良いのか、それとも、一歩を踏み出してみるべきなのか。そもそも、リアルカメラ・スイッチというのは確かにあるが、そこに入るためのログパスもあやふやだった。「まぁ、練習のつもりで」。僕は、逃げ腰になってきた男をがっちり捕まえるように「つないでみましょうか」と言った。自分から言った以上、引く事も出来なかったのか、男は「そうです、か」とつぶやいて、つないできた。


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