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ライス国務長官が上院公聴会で6か国を「圧制の拠点」として名指し。「人権と民主化」をキーワードにアメリカの外交を展開していくという意志をみせた。「世界にはまだ圧制の拠点が残っている。米国は、キューバやミャンマー(ビルマ)や北朝鮮、そしてイランやジンバブエといった各大陸の国々にいる抑圧された人々の支援をする。世界は、ナタン・シャランスキーが「街の広場の試金石」と呼ぶ判断方法を適用すべきだ。つまり、街の中心部の広場に行き、自分の見解を逮捕や投獄や拷問を恐れずに表明することが出来ないのであれば、その人は自由社会ではなく、恐怖の社会に住んでいるということになる。我々は「恐怖の社会」に住む全員が最終的に自由を勝ち取るまで、取り組みを辞めるわけにはいかない」(朝日新聞/ライス氏の発言内容)

「悪の枢軸」なんて言われたイラン、イラク、北朝鮮についで、二期目のブッシュ政権のキーワードはこの「圧制の拠点」であるらしいです。アメリカに対してミサイルを撃ち込む危険性やそういう開発を進めているとされた「悪の枢軸」よりも、さらに広げて、ミャンマーなど直接害を及ぼさない範囲まで、つまり、全世界、各大陸にある「独裁」を許さないという方針。まさか・・・イラク戦争が正解だったとでも?ものすごく危険な印象を持ちます。
人権を守る、民主化を進める。これは日本という社会で、それもここ最近の二十数年の中で生きてきた僕には、賛成するところだし、世界にはまだまだ自由な意見が言えない国があって、そこでは強いられている人々がたくさんいること、それはよく分かります。だから、そんな人たちを解放させたい。それは地球人として共有するものだと思います。が、それをアメリカという国が、それも唯一の超大国(政治/経済/軍事のすべてにおいて大国)がひとりでつっぱしてしまうことに、反対側にいる人たちは反発するという明らかな事実がイラク戦争で見せつけられた以上、まぁまぁまぁと抑えたくなるのですが、それって生ぬるいのでしょうか。だから日本人はダメなんだとか、結局なにも出来ないんだとか、そんなことをよく聞きますが、やっぱりそうなんでしょうか。
歴史上、言えぬ時代を経て自由になった日本では、もう、それが禁止されていたいう感覚がありません。だからなんでしょうか、理想論だと突っ込まれても言い返す術がありません。が、僕は、なんて言われても、ウクライナのように、リビアのように、時間をかけてゆっくりと、平和的に解決する方法を放棄すべきではないと思います。多くの犠牲の上になりたつ自由は、いつまでもその下で悔恨や憎しみが埋まり続け、沸々と気化しては問題を掘り返すように思えてならないのです。
「圧制の拠点」
 outpost of tyranny