新しい町
2011年4月24日
サマショールという言葉を新聞で見た。チェルノブイリ原子力発電所の周辺で立ち入りが制限されている地域において、元の住民たちが違法と知りつつも移住地になじめず、精神的に追いつめられたりして「元の場所」へ戻っている現状。サマショール、自発的な帰郷者のことをいうらしい。

チェルノブイリ原発が爆発を起こしてから25年。旧ソ連・現ウクライナのその地は、土壌汚染を理由に半径30キロ圏内が今もなお立ち入り禁止になっている。先週、今回の東日本大震災で事故を起こした福島第一原発の周囲(半径20キロ)にも警戒区域が指定された。住民は、自分の土地であっても自由に出入りできない不条理。それに、怒り、苦しみ、それでも受け入れるしかない現状におかれた。流出した放射能の量は違うものの、原発事故で警戒区域が設けられたという同じ状況となる。この地に、サマショールは現れるのか。何年も経て、今のチェルノブイリ周辺がそうであるように、職もなく、さまよった若者までが住み着くようになるのか。フクシマの警戒区域で「追いやれた」住民のケアが、今後のより一層の課題になりそうだ。

原発があった。それと共に生活していた。しかし、危険性は限りなく低いと説明されていた。福島の彼の地は、それなのに、この惨状である。補償をどうするのか。明日の生活をどう守るのか。いったい、何をすればいいのか。放射能を浴び続ければどういう症状が出る、ということすら明確になっていない以上、20キロという「範囲」に妥当性はあるのか。そんなことが次々と問題になっている。

フクシマ。この言葉が世界に発信する意義は、大きい。折しも、地球温暖化の中で、「環境にやさしい」とまでいわれ、原発増設に動いていたのは欧米を中心に中国など新興国にもあった。事故の危険性はあるが、それは「守られている」と。そんな安全神話の元で「実」の部分の電力を確保しようとしていた。需要がある。だから生み出さなければならない電力。それが無限でないことを知りつつも、どんどん造りだそうとしていた。その、無理がたたったのだろう。

スペインでは、風力が生み出す電力が国内シェアでトップになったらしい。派手な電飾もなければ、街灯もほの暗い。だからといって、どれだけの不便があるのだろうか。明るい夜のほうが犯罪率が低いのか? 「明るい」東京をみてみると、そうも言い難い。限られたエネルギーということを今、もう一度本気で考えるべき時かも知れない。

原発事故のショックは世界中に大きな衝撃を与えた。それをもって、今回の「日本の大震災」と考える向きも在るかもしれない。が、もちろん、違う。被災規模としては膨大な青森・岩手・宮城の海岸沿い。避難所生活者の数からいえば、これはもはや途方もないとすら言える。気仙沼産の魚介。築地市場では、それがブランドだった。三陸沖の漁場は、世界でも有数という。入り組んだ地形、寒暖の潮が交差する条件。近海から遠洋までの、多岐にわたる漁業。一人前の漁師になるには、三陸がいい。そんな風にも言われたところだ。海に囲まれた日本の漁業。それを飲み込んだ津波の脅威。町は完膚無きまでに破壊された。その映像をみたり、死の一歩手前で生還した方のインタビューを読んだりすると、鳥肌がたち、想像するだけで怖ろしい。

地震と津波。
この自然の脅威と共存していくためには。

大震災発生から1ヵ月を過ぎ、ようやく「次」の動きが見えるようになってきた。まず、壊滅的な被害を受けた三陸海岸の町では、生活する場を高台に、そして、漁業関連施設を海岸近くに国有化して国の資金で再生する。そんな青写真を描いているようだ。ある漁師の方は新聞のインタビューで、これでようやくがんばる糧ができた、と応えていた。確かに、家も船も何もかもなくなった今、気力をふるい起こすのは「この先、どうするか」というゴール。それを国が「箱」を作るというのは、いいことのように思える。

復興する町の様子は、それまでの再生ではなく、「よりよい」町作り、「より強い」町の形成が求められる。阪神大震災の時もそう言われた。区画整理をして、導線を確保した町は、どこからどうみても作られた町をイメージさせる。が、その「箱」をまず用意しなければ、住民は戻ってこない。人が居なければ活気もなく、活気が無ければ「町」はできない。そのための膨大な時間。その期間、人が希望を持てるか否か。国は、政治は、何ができるのかを考えたとき、今回の「国有化」による再生プランというのは一つの形として正しいのかも知れない。が、そこに「スピード」が伴わなければないらことを、本当の意味で認識しているのだろうかと少し不安にもなる。

今回の大震災では、膨大な悲しみが溢れた。
そして膨大な絶望が露わになった。
フクシマ原発周辺を見れば、膨大な怒りも加わる。

数十万人という「人」の力。その悲しみや絶望や怒りの「力」を、一つの方向へ集約して、それを活かす「新しい町」が、強く望まれる。

子供やお年寄りが安心して暮らせる町作り。そして、そこに住む人たちの熱。それらが同じ方向へ向くための「ゴール」。その青写真。

新しい町、を作るのだ。日本には、大都会の東京ですら「歴史と最新技術の融合」という形成の術がある。古都と呼ばれるところですら、屋根にソーラーパネルをはって自家発電しようというアイデアが出たぐらいだ(京都・西本願寺)。いままでの伝統と、最新の技術の融合。それはモダンとは違う。無理のない生活、歪みのない町作り。スーパー堤防を作っても、それは所詮人工的な「安心」にすぎない。想定外という自然の力の前では無力だ。であれば、「機能」を重視した美。その美しさを持つ町作り。幾重に複雑に絡み合わせ、一つが「千切れても」崩壊しないセーフティネット。今、机上で考えられ得るすべての「安全」を具現化し、ベースにある豊かな伝統美と組みあわさったとき、三陸海岸沿いは、はたまた福島は、今までにない魅力を発揮するのではないか。世界に発信する「新しい町」の姿。それが一つのモデルとなって、津波被害やハリケーン被害を受けやすい世界中の町が真似するような、憧れるような、そんな姿が現せれば。今回の大災害もただ悲しいモノだけではなくなる。

その過程で、既得権益や絡み合った利害はできるだけシンプルにしたい。東北を地盤にする政治家が、これを機に「勝手」に動いたり、原発反対だけを声高に叫んでばかりで票を得たり。そういう次元は軽く超えなければならない。

今、若者は「発する熱」が少ないと言われる。すでにある「世の中」の定員数の中に入りこむことだけを考えて、そこから漏れたら自分を「駄目」だと決めつけているようにも思う。何もない倉庫街や、廃墟と化した「古い」町に、【新しい町】ができるというのは、何もニューヨークのロウアー・マンハッタンや、ドイツのライプチッヒだけではないだろう。世界に名の知れたフクシマが、その「イメージ」を180度変えて広がるとき、新しい町のファクターに「若者」は不可欠だ。

ぼくは思う。新しい町を作るのに、特別に用意する「力」は、実はそんなに必要でない、と。
今、絶望のふちにあって発することのできない膨大な「力」、
または既存の世の中で、ある意味はみ出されてしまった若者の「力」。
そういう力を、ある方向に導くベクトルが出来れば。その力は膨大だ、と、震災被害が大きいだけに思う。国として、つまりは国民一人ひとりとして、その方向付けのための負担。それは惜しむべきではない。

数年後、フクシマや三陸沖が、力強く、機能的で、暮らしやすい「町」になっていれば、その魅力につられて多くの産業が成り立つだろう。それは、日本にとって非常に大きく、国民が受けられる恩恵も大きくなる。

今、全てを破壊された現状から、再び作り上げる「新しい町」は、そういう「人の力」に溢れたものにして欲しい。一人ひとりの「小さな」力の集合体で膨大なエネルギーを生み出す町作り。原子力の力で膨大なエネルギーを生み出し、それを垂れ流し的に消費する姿ではなく、太陽光や風力で生みだした少ないエネルギーを無駄なく使い切る社会。それはエコにも繋がる。そして、知恵の活かせる社会。知識ばかりを積み上げて、実態の掴めない「機械」に任せるのではなく、振り絞った知恵が骨組みとなるような「強い町」の形成。

これは、未来図としてものすごく「地味」かも知れない。派手なマシーンも、ハリウッド的なデジタルも出てこないかもしれない。が、とても力強い。

新しい町には、そういう地に足の着いた、一から十まで「理解」できる、いってみれば手の平に収まる技術と、それを最大限に活かせる繋がりのある姿が望ましい。

無駄なのにキャッチーだからと機能過多で消費電力がふえ、肝心な時に充電切れになる携帯電話。それを失って初めて「不便」を感じる生活だ。復興する新しい町は、つまりはこういうことのない、社会でなくてはならない。

派手なものは要らない。ただ、これまでに無かった「新しい創造性」、「新しい汗」「新しいコミュニティ」。それを包含した、姿になってほしい。

そのために。今、動きだし、走り続け、達成するべく「輪」を改めて誓う。



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