菅内閣が改定に踏み切る防衛計画の大綱の中の言葉。
機動力や即応性を重視した「動的防衛力」。(以下、朝日新聞参照)

そもそも防衛大綱とは1976年に始まり、これまでに冷戦の終結や9.11テロなど、世界の動きに合わせて3回策定されてきた。この12月に変えようとしているのは、2004年12月に改定されたもの。5年後に見直すとされていた04大綱を1年先送りして、改定に踏み切ろうとしている。

日本を巡る防衛力の重要性。北朝鮮による朝鮮戦争以来初めての韓国陸地への攻撃、中国による尖閣諸島の日本領域内での衝突事件。そして、中国の、2桁を示す軍事費の増額。

そんな「近郊」の変化に、日本の防衛はどうあるべきか。

これまで、自衛隊を全国にまんべんなく配置する「基盤的防衛力」を唱えてきた菅内閣が、動的防衛力に転化したのは、どれだけ「まんべんなく」配置したとしても、離島などに「空白地域」ができてしまう。で、あれば、最新鋭の戦闘機(次期戦闘機・FX)の配備や弾道ミサイルに対応する迎撃ミサイル搭載のイージス護衛艦など、「機動力」を重視した体勢に変えようというもの。

ただ、日本の防衛が軍事と結びつくには、憲法上の縛りや国民世論の反発などがあり、もっと言えば、日本の周辺国は日本の軍事力には敏感になっている。

アメリカと組みすぎる危険性もあるし、防衛費という莫大な予算を確保しにくい台所事情もある。

今、防衛費はいくら捻出できるから、日本の防衛はこうしよう、という組み立て方だが、例えば、もっと世界が戦争を間近に感じはじめる自体が起こったとき、日本は自分の国だけで、本当に守れるのか?という疑問さえもってしまうだろう。

そこで焦っても、間に合わない。

こんなことを「実際に考え」ないといけない現在の状況が「平和」という言葉を、とてもペラペラなものにしてしまっているように思えてならない。

世界平和。それの言葉を声高に叫び、
その裏で「でも実際は」と限定している今、
世界は、とても平和とは呼べない。

そんな今だからこその言葉だと思う。

2010/12/12記