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鈴木大拙館
D.T.Suzuki Museum

@金沢

Life is after all a traveling
from one unknown
to another unknown

「旅行が容易に過ぎれば、その精神的意味は失われる。これはセンチメンタリズムといわれるかも知れぬが、旅によって生ずるある孤独感は人生の意味を反省させる。人生は畢竟(ひっきょう)、一つの未知から他の未知への旅である

禅の世界。外国人が、特にバックパッカーが、その昔、ヒッピーが、禅を知る時、鈴木大拙という人の名前が出てくる。これは、日本人から見た彼よりも、確実に有名だ。

ここでは、鈴木大拙のことばに出会うことができる。左はその中の「33」と振られたもの。入場の際、リーフレットをもらって、そこにことばを集めていく。

ちくま文庫「禅」(鈴木大拙著 工藤澄子訳)を開き、その第一章の始め、「禅は、仏教の精神もしくは真髄を相伝するという仏教の一派であって、その真髄とは、仏陀が成就した〈悟り〉(bodhi, 菩薩)を体験することにある。」の文脈に、なんとなくなのに強烈に惹きつけられたのは、何年前だったか。私自身が一人旅を全盛期に謳歌していた時だったと思う。この何でも無い言葉に、もしかすると、禅、というイメージだけを上塗りするためだけに、この本を読み、いつもバックパックに忍ばせていた。この鈴木大拙の生まれ故郷、金沢市に鈴木大拙館が出来たと知ってから、なかなか足を運べなかった金沢に、ようやく行き、そして、その空間を吸ってきた。モノクロームのようなカラフル。無いという(空・くう)を知る。ただ水面、風が吹き、仕掛け装置が一定間隔で「ポコッ」と泡を出す。波紋。目の前には、無機質な建物。コンクリート。その上の借景。新緑の緑が眩しい季節だった。

金沢を代表する美術館、21世紀美術館の近く。住宅街のような落ち着いた場所に鈴木大拙館はある。入場料は300円。特に、何がある、という訳ではない。書や自習室もあるが、ほとんどは、何もない。その何も無いのを感じる場所かとも思う。ことば集めが、個人的にはすごく興味深かった。