上段/二条城前、恵比寿、京都駅
下段/舞鶴線、門司、門司(2)

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駅構内と電車内。読む間として快適云々よりも、よく考えてみれば一番「本」を読んでいるのは、やはり電車だったり駅なのかと思う。平日は必ず往復電車に乗る。そこで読む時間を総合すると、これはかなりだ。それ、かけることの数年分。うん、やっぱり「読む間」としてはいい。絶妙な揺れと、基本的にはひとりで乗る人が多い分、とても静か。あれだけの人がいて、不気味なほど、静かなのだから。ipodの人も、携帯をいじる人も、それぞれに「個」の中に居られる。から、読む間としていい。

快適をいうなら、平日の昼下がり、地下ではなく少し街外れの駅がいい。ポカポカしてればなおいい。本を開いて、行間にうもれ、そのここちよい中で眠りにつければ、これはこれは、素晴らしく良い。

降りる駅まであといくつ。それを考えつつ、このページまでいくかとめくった先の、言ってみれば最期の1ページに、おっと驚くような展開があったりする。本って自分のペースで読めるから好きだ。止まらなくなったときは、駅で降りてからペンチにすわって「気が済むまで」読んでいられる。そんな風にして、僕はよく帰りの電車で、最寄りの駅に降りてから30分もベンチに座っていたことがあった。いや、今でも、よくある。

【左】「その日のまえに」(重松清著/文藝春秋)
とにかく泣いた、電車の中で泣いた。涙がほんと、うかんできた。短編からなる作品群。全てにいえるのは余命数ヶ月を宣告された人たちの、「その日」(死ぬ日)までを綴っていること。特に、ぐっとくるのは、ストリートミュージシャンに突然母のガンを宣告される「Here Comes The Sun」。最後の「その日のあとで」の章で、トシくんも、「かもめ海岸花火大会」も、ひこうき雲の山本さんも、勢揃いする。死ぬってわかってから「考えられる」のは、ラッキー、なのかもしれない。死ぬことの意味は未だに分からないけど、それを考えることが答え、という・・・。「死」を見つめて、その周りにいる人たちの状況、感情をていねいに綴っている作風は、もう重松氏の十八番だとさえ思える。
あいかわらず、泣かされてしまった。

【中】「長崎乱楽坂」(吉田修一著/新潮社)
駿は三村家の長男。大家族。兄弟は二人。長崎の小さな町のヤクザの家で過ごす。正吾は神戸で出世する。母と一緒に駆け落ちする。オムニバスのような時制を飛ばして展開する物語は、駿と悠太という二人の兄弟の生き様が描かれる。離れに住む男たち。その男たちの声を聞いた駿と、その声を聞くことのなかった悠太の人生。かつては威勢のいい男たちだらけの家だったが、女子供だけとなり、そして、祖母も死に戻ってきた母と廃人のようになった駿。思春期を迎えた悠太の反抗。離れという場所がひとつのキーポイントで、その離れが最後に火事になることで、その離れに駿の書いたそれぞれの男たちの肖像があることで、なんだか今までの全てが終わり、これからが始まる気にさせてくれた。

【右】「黄金旅風」(飯島和一著/小学館)
長崎と平戸。家康なきあと、秀忠が大御所となり、家光が将軍職にある時代。東南アジアを中心とした貿易船の話。タイトルがまずいいことと、キリシタン迫害における時代背景のもと、魅力的な登場人物がこの時代の世相をしっかりと表した事件や行動に出る。江戸の町やこの時代背景が目に浮かぶ。「始祖鳥記」でも著された江戸時代の町民の暮らしが生々しい。その中で、最終的にルソン征伐を企てた竹中重義と、それを平左右衛門が止めるという壮絶な戦いがクライマックスへ。火事の中で命を落とした才助と平左右衛門。この竹中切腹を機に、家光の時代、すべての日本船は例外なく一切の海外渡航を禁止されるにいたる。