平城遷都1300年祭
平城宮跡
HEIJO PALACE SITE
奈良県

2010年05月28日
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第一次大極殿と朱雀門の復元。それが大きな話題となった平城遷都100年祭のメイン会場は、上記2つの間に近鉄奈良線が突き抜けるほど広大な敷地だ。ほぼ、雑草の生い茂るまま。芭蕉風に言うなら、夏草生い茂る「跡」といった様相だ。それが、いい。実に、いい。パビリオン的に「建てられた感」満載の会場なら、「造りすぎず」想像させてくれる空間が、とても重要なのだ。資金不足云々、そういうことではなく「あえて」したと思えば、このメイン会場、乙である。

近鉄大和西大寺駅から歩いて10分。道に迷う心配はない。これでもか!というほどに、係の方が立っており誘導してくれる。で、佐伯門から会場の中へ。まずは交流広場なる、ステージやフードコート、土産物屋が並ぶエリアに入る。そこにレンタサイクルがあった。後々になって思う。借りておけばよかった、と。それほどに広い。真夏は十分なる覚悟が必要だろう。とにかく原っぱにあるのだから。

まずは「第一次大極殿」へ。ここが、おそらくはハイライトだろう。近くに貸衣装スポットがあり、ここぞとばかりに天平人に変身する人達がいる。おかげで、上記のように、「それっぽい」写真が撮れたりする。感謝だ。平城宮の中で最大の建物であった大極殿。当時、天皇の即位式や外国使節との面会が行われた場所だという。その復元された様は、青空をバックに、原っぱの真ん中で実に美しかった。が、中はどうも……。ガラス張りだわ、展示パネルだらけだわ、で。上村淳之氏が描いた四神が、東西南北に「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」とあり、見上げたまま一周、ぐるりと首を回せばそれで十分だった。大極殿の中から朱雀門が小さく見えた。ちなみにこの建物は地震や暴風時、建物の地上部分がゆっくり動く免震建物らしい。

ここはとにかく大極殿の「前庭」がいい。なんたる開放感!素晴らしい。四方を囲む塀が、視界で捉え得る絶妙のバランスで区切ってくれる。どこかでこんな気分を味わったな、と思い返せばハラホリン。大袈裟に言えば、あのモンゴルの大草原に建っていた寺院「エルデニ・ゾー」のような感じだった。違いは、下が砂利道であること。ここをスニーカーで歩けば、なんだろう静けさの中に一定のリズムを加えてくれ、それがまた次の一歩をうながしてくれる。1300年。そんな大昔にタイムスリップして「想像」できるのは、この砂利道の存在が大きいのではないかと思う。

大極殿から朱雀門までは、当時「朝堂院」のあった場所。今は右の写真のような原っぱ。そんな道を歩いて行く。途中、踏切があって、近鉄電車の特急が駆け抜けた。

そして朱雀門。この門にも 鴟尾(しび)が金色に光っている。ここは当時のメインストリート朱雀大路の北にあった大極殿の、その正門にあたる場所。つまりは、当時の天平人にとって、この門だけが唯一見ることの出来た「最高峰」の建物、ということになるのかも知れない。

大極殿と朱雀門。あとは、遣唐使船の復元がメインどころだろうか。そんなに歩いた記憶はないが、顔や腕が焼けている。のは、これだけの「原っぱ」に突如現れた復元を、ぼんやり歩いているからであって、そういう空想可能な無空間が、改めて、いいな、と思う。