2000年8月25日(金)
1日目

関空→イスタンブール



今、空港にいる。黄色いクッションに腰掛け、普段より一つも二つもテンションのレベルを上げたような団体旅行者達の喧噪から少し離れて、この超近代的ビルの天井を見上げたりしている。今こうして座っている関西空港の旅客ターミナルは地盤沈下の進行が建設時の予想よりもかなり早いらしく、その事が何日か前の朝日新聞に載っていた事を不意に思い出した。

少し早めに着いたので、フィルムをセキュリティーチェックの際に通す「X線から守るための袋」を探す。今まで随分旅をしてきたが、そんなモノは持っていったためしがない。が、ロシアは結構そのX線が強いのだという噂から、旅から帰ってきて写真が真っ黒になっていたら大ショックなので、空港内の売店を何件か探す。カメラ屋でさえも売っていない。まぁ100%大丈夫だとは思うが、柄にもなく念には念をと思っただけである。売ってなかったのが幸いかも知れない。

今回で9回目の海外ひとり旅となる。

一人でこの関西空港にくるのも随分なれ、一人の方が好ましい瞬間が多いのだが、これだけの人に囲まれ自分がポツンと座っていると少々「寂しいか?」と思う正常な時がある。ただ、それは本当にたまで誰かと一緒に行動する中からは決して見えない細かい、そして深い風景や時には情と言うモノが見えてくる。それが僕の求める最も大事なモノで、いまから始まるこのロシアの旅にも、そういうものに数多く、見聞きし、そして触れられるのではないかとまたワクワクしてきた。そういや目覚まし時計を忘れた事にさっき気付いた。

せっかく出された朝御飯を食べずにコーヒーだけを飲んでいたので空腹です。
現在12時。何か食べようと、カールスティックとBossコーヒーの簡単なランチを済ます。

空港のテレビで「いいとも!」を見る。随分久しぶりだ。セキュリティーと出国を済ませて、搭乗ゲートへ。トルコに向かう人がたくさんいる。人気のポーションであることを改めて気付く。そこで僕はさっき聞いたラッキーな情報、アメリカン航空のマイレージでトルコ航空分が貯まるというのを盾に自信満々でカウンターへ。「お願いします。」と言うと、あっさり「トルコ航空とアメリカン航空の提携はございません。」と言われた。期待しただけにガーッンとショック。残念だ。結局テンポラリーカードさえもないクオリフライヤーでもマイルは貯まらないのでロシアまで飛ぶ今回のマイルはゼロだ。あ〜あ。まっ、いいか。

椅子に座ってこの残念な気持ちのまま日記を書いていると、搭乗口の少し前で安全上の理由により全員のパスポートチェックをするという。出発時間はとにかく遅れていて、いつになるか今のところ未定らしい。今回の旅は何かがあるのか?そのチェックは本当に簡単なモノで、搭乗券の名前とパスポートのチェックをするだけ。こんなチェックを受けるのは初めてだ。いつ飛び立つのだろう?予定通り行って20:20現地時間着なのでそれが遅れる。まぁ、今回はトルコのホテルをとっているのでホテル探しの心配はない分、別に焦らないが。このくらいのトラブルでは別に慣れというやつだけで越えていける。そんな事よりマイレージが悔しい。

<イスタンブールにて>

結局のところ飛行機に搭乗したのが14:30頃で15:00過ぎに飛び立った。約1時間半の遅れ。いつものようにバックパックを機内に持ち込んでいる僕は座席の上に置こうとしたのだが、なんと僕の席は一番後ろから1つ前で上の棚には余った枕や毛布がびっしり詰んである。仕方がないので前の人の所へドカッと置く。後でペチャペチャ話しながらやってきたおばちゃん4人組は「もぉー置くとこないやん」と言ってる。・・・ごめんなさい。僕のカバンがあるからです。

通路側の席に座って出発を待つ。隣の窓側に座ったのはSさん21歳。今回はイズミールの南にある村でボランティア活動をするプログラムに参加するという。彼女は去年アメリカのミネソタ州で福祉のボランティアのプログラムに参加したという。それにはまって今回はトルコにと言うことらしい。奈良県出身の彼女は現在同志社大学に通う3回生。就職も色々考えているらしく、一度目の機内食が出てからしばらく色々話した。また僕らの飛行機は20:20イスタンブール着予定だったので、1時間半出発の遅れたため、それ相応の時間着になってしまう。そこに来て彼女はホテルを着いてから探すつもりなので、その事がかなり心配らしく、関空で横浜から来た男性2人組と仲良くなって一緒にアクサライ(市内)まで行くことにしているという。便乗させてもらおう。そう思った。

トルコ航空1015便は12時間の飛行予定さえも遅れて13時間半程飛んでイスタンブールのアタチュルク空港に着いた。その長フライトの間、堅い椅子と寒すぎる機内、シートランプは故障で点かず、ヘッドホンは配られたが音が鳴らない。また、機内食もビーフを選択した僕に与えられたのはハヤシライスで、とにかくビールを飲んで、Sさんと話して、寝て、暗がりの中本を読んで過ごした。「日はまた昇る」。スペインの話だが、なんとなく今回の旅に備えて買った一冊だった。高校の時に読んだ記憶はあるが、「よんだ」という記憶のみ、である。

薄っぺらい毛布を丸かぶりして6時間は寝ただろうか。トルコ航空を利用したのは初めてだったが、アイマスクが一人一人に配られた以外、最低でサービス精神はゼロに近い。機内食を配る際、別にパンを渡すときも奥の席の人には投げて渡すし、グリーンティーもお湯が沸いてないのでダメという。一番決定的にそう感じさせるのはアテンダントにほとんど笑顔がないことだ。笑うだけで他人に与える印象は数倍良い。あそこまでいくと過剰サービスで感覚の鈍った日本人でなくとも一言もの申したいところではないだろうか。今思うと本当にとくかく寒かった。

現地時間で9時40分頃イスタンブールに着いた。Sさんと、彼女が関空であった横浜から来た2人組、NとT、そして僕が飛行機から降りていきなり「タクシーとホテルをシェアしませんか?」と話しかけてきたKの5人で市内へ。Kは関空で何度か僕を見かけて、シェアする事を心に決めていたらしく、現在龍谷大学に通う滋賀県出身の大学生。Nは日本大学の4回生でH.I.S.に内定が決まったらしい、Tも同じ日本大学で彼はまだ3年生。NとTはここイスタンブールに3泊して、その後ベネルクスとパリ、ロンドンへ行く予定。Kは1週間ほどイスタンブールにいてカイロへと飛ぶ。まず、入国を済ませて両替へ。

僕はとりあえず30ドルを18,500,000トルコリラと50のコインを3枚に換金する。そのゼロの多さに面食らうい何がなんだか分からないが、とにかく600万リラで1000円だと覚えることにした。

外に出てやっとタバコを吸う。22:30頃になっていたが、まだHAVASというエアポートバスがあったのでそれでアクサライまで行く。200万トルコリラ(333円)。5人のうちでホテルを日本でホテルをとってきたのは僕とNとTの3人で、なんと偶然にも僕らは同じROYALホテルだった。あと2人のホテルをどうするか話していると、バスの隣の席に座ったトルコ人、ケインと自称その弟(戦うという意味のハワシ)が日本語で話しかけてきた。驚いたが、それも当然でケインは現在大阪外国語大学の日本語学科在学中で梅田のバーでバイトしているという。今は夏休みなのでトルコに帰ってきているらしい。ハワシも名古屋で5年間働いていたらしい。ハワシはSさんがかなり気に入ったらしく話しまくっている。ハワシは現在17歳。(後で知ったのだが、彼には日本に子供が2人にてしかも母親は別々らしい。しかも未婚。めちゃくちゃしてる)。ケインも21歳と言うがかなり大人っぽく、話しもあったのでケインと僕は日本語で、しかも関西弁で話し続けた。彼らの家はスルタンアフメッド地区で旅行会社(icem tours)をやっているらしく、ハワシは今そこで働いている。ホテルの決まってない2人は初めアクサライではなく安宿のあつまるスルタンアフメッド地区でホテルを探したいと言っていたので2人に色々僕が聞いてあげた。Sさんはハワシのしつこさに少々うんざりしていて、ホテルを紹介してあげるという彼の言葉を遠回しに否定していた。日本に5年居て、日本語がある程度はなせても、この婉曲的な否定は通じちゃいないようだった。ケイン達はスルタンアフメッドに行くのだが、僕たち5人と一緒にアクサライで降りた。結局KとSさんはケインの助けを借りてROYALのすぐ前のホテルへ1人10ドルちょっとでチェックインした。

ケイン達は明日車で市内を案内してあげるといい、彼らと10時にこのホテルの前で待ち合わすことにして別れた。12時を過ぎるトラムがなくなるらしく、彼らはタクシーで帰っていった。ホテルの前で今日トルコに着たばかりの日本人女性2人組にあう。夕食の約束をして別れた。今回このホテルを僕は23ドルでとってきた。それがシングルルームのネット料金だったが、ラックもそれほど変わらない。30ドルも払えば泊まれるそうだ。一応Sさんが聞いた時30ドルでOKと言われていた。
318号室にチェックインする。ポーターは断った。断った分自分で部屋まで行くのだが、このホテルはフロアーが2棟に別れていて16号室までの階段とそれ以降の階段が別々になっている。階段を間違えて昇ってしまい、通り抜けできないのでまた下までおりてそれから奥のエレベーターでまた昇った。

部屋はなかなか綺麗だった。再び5人で集合して軽くカフェでビールを飲む。ポテトとサラダをつまみに色々話す。周りも深夜だというのに酔っぱらいや本格的にケバブの夕食を塩を一杯振りかけて食べる客もチラホラいる。そんな事は気にせずに5人で話す。無口なTは僕の横の席で時折クスクスと笑うだけだった。5人でワリカンして、1人100万トルコリラだった。午前2時半、ようやくホテルに戻り、シャワーを浴び、日記を書いて寝る。明日はSさんがもうイズミールに移動するため、ケインが空港まで送る。それが10時で、その前にカフェでもしようと8時半にROYAL集合と言うことになっている。結構めんどい、こういうの。でも朝早いのでとにかく寝よう。

早く寝ようとベットに横になるが、久しぶりの時差ボケで眠れない。

眠れないのである。ROYALホテル318号室、ツイン・ソール・ユースの少し広めの四方の壁が迫り来るような孤独感に襲われる。電気を消して目を閉じるとこれからのことがわ〜っと心配になったり、モスクワに発つ日は飛行機が速いため、午前5時半に起きないといけない。そしてタクシーで行くしかなく(このホテルはエアポートリムジンバスがとまらないとフロントで言われた)、いくらかかるのだろう。そして、モスクワでの冒険とも言える地下鉄移動を無事にこなしてホテルにたどり着けるか?そんな事を考え出すと頭がさえてきて、よけい眠れない。トルコ、イスタンブールの深い夜によけい孤独感を感じ、眠れない1夜をただじっと過ごす。が、そんな事を考えていても、その場その場の対応で切り抜けるしかない。たかだか1週間の小旅行だ。眠れないのなら寝なければよい。簡単な事ではないか。ある種日本にいては絶対に感じることのできないこの感覚を充分に感じ、楽しんでやろうじゃないか。



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