.

.

現役で活躍する「重要文化財」の建物。
その多くは「立地」に価値あるものが多く、土地の上(つまり空中)にも
高い値段が付く。例えば、五階建てのビルとしよう。
それを建てかえて二十階建てにした場合、その十五階分でかなりの
「儲け」が出る。

東京中央郵便局の建て替えで、再び脚光を浴び始めた「腰巻き保存」とは、
建てかえの際、外壁の一部を腰巻きのように貼り付けるところからゆうらしい。
「かさぶた保存」なんていう言い方もあるという。

東京や大阪にある明治・大正時代のモダンなビルが多く、
レトロ感一杯に街の顔を形成しているが、老朽化という「理由」づけの元、
どんどん超近代ビルに生まれ変わろうとしている。

東京駅の前、大手町にある「銀行倶楽部」ビルは、その走りと言われる。
ガラス張りの今風ビルの下層階部分に、もともとあった外壁が巻かれている、
なんだか、とてもみっともない、はがし残ったシールの跡のような……。

文化、文化と叫ぶ人たちと、現実問題的な資本主義の人たちと。
どちらも正解なのかも知れない。が、寂しいことに間違いはない。
歌舞伎座も、しかりだ。

この「腰巻き保存」というコトバ、というよりその考え方が、
実に、「AとBを足すでも引くでもなく、ただ並べて置いた」ような気がして
ならない。足すことも、引くこともせず、ただ……。

報告書が会議で通過するために、言葉尻だけを変えたり、
もってくる数字をいろいろとこねくりまわしたり。それで出来た代物は
一体全体どうしたいんだ?とつっこみたくなるものになるというか。

保存するのか、生まれ変わらせるのか。

建て替えて、その上、それを現役で使うなら2つに1つではないか?
中途半端にぺたりとはりつけるのは、どうも「痛々しい」。
それをすることで、コスト面でも相当に跳ね上がるだろうから。

あの人やこの人、あっちやこっちの人たちの全部をちょっとずつ
合わせたり妥協したりでできるモノは、結局どの人の望むものでも
なくなるような気がする。

全部を「金」にかえるようで
心情的には「嫌」な気がするが、
落ち着いて考えてみると、
「まぁ、そんなものかな」とも思える。
腰巻きなら、いっそのことその建て替えた上層階も、なんとかならない
ものか?そうすると、余計にコストがかかるのか……。