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禅のことばで「不立文字」というのがある。"悟りは文字・言説をもって伝えることができず、心から心へ伝えるものである"という意味らしい(広辞苑より)。それを鈴木大拙は、外国人に向けた著書“Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture”の中で「禅のモットーは言葉に頼るな(不立文字)」というのである、と記している。

つまり、【直覚的】である、と。

これは、知的作用や学説に訴えぬということであり、身をもって体験することから得るという考え方。こと知識ということに絞ると、読んだり聴いたりして得る知識、観察と実験・分析と推理の結果から得る知識、そして直覚的な理解によって得る知識。この三種があり、禅の場合、直覚的(自分が身をもって体験した結果から得る知識)なものこそ大事と説く。


言葉、という具体的なものを、想いとか精神的な抽象の表現として代替すると、「ピタッ」と当てはまるモノがなく困窮する。その言葉を組み合わせてあたかも「自分のコトバ」として表現するとき、その負のスパイラルに陥ってしまう。

何かを表現しようとする時(それは意見を述べるのとは違う)、この禅の考え方は「悟り」云々を除いても非常に大事な考え方だと、ぼくは思っている。

突発的危機、予想外の展開で自分を守るのは、まさに直覚的に得た知識やコトバで、詰め込みの知識(言葉)では立ちゆかなくなる。自分の身で体験して得るモノの大切さ。それを言うのだと、ぼくは思う。