極東日記『台北編』

今、これを記しているのは2009年10月。鳩山政権が発足し、オバマ大統領がノーベル平和賞に輝いたそんな頃合いだ。

台北はぼくが極東と呼ばれる「外国」へ初めて出かけた地だった。今から9年前の2000年5月12日から15日までの3泊4日の弾丸旅行。当時の日記を元に記していくが、日本円換算はその頃のまま。ちなみに、1NT$(台湾ドル)は3.7円だった。

この旅のきっかけは、少し前に南米の旅に出かけており、アメリカン航空でマイルがたまっていたことだった。同じアライアンスのキャセイパシフィック航空なら台湾か香港まで無料で飛べる。その二つを比べたとき、割合簡単に「台北」にしようと決めた。それが何故かは分からなかったが、とても自然に決めたと思う。そもそも外国とはいえ、日本と同じ極東圏だ。気持ち的に「張り」の違いはあった。なんとなく「短いし、近いし」みたいな緩さも確かにあった。それまでのぼくが背負っていたバックパックではなく、小さめのボストンバックに荷物を詰めた頃から、なんとなくこの旅は異質だった。

言ってみれば「ちょっとそこまで」という気持ちに近く、北海道や沖縄など国内をすっ飛ばして海外ばかりに目を向けていた当時のぼくには国内旅行のちょっと先にあったとも言えなくない。さらに、4日間の旅というのも、それまでのぼくにとっては短すぎるもので。いろんな意味で、この時の旅は印象深い。



2000年5月12日(金)

台北、1日目。


朝、目覚めると雨だった。8回目の旅で17国目の台湾に飛び立つ。
お金は極力使わずに、「歩く・値切る・しゃべる」の3大原則の下で旅をしてきたぼくの根本は変わらないが、関空へは快適な「はるか」で向かっている。景色を窓際に肘をつきながら眺める。細い日差しが射し暖かい。斜め前には、これからバリへ向かう男3人組がかなりのハイテンションで話している。「あ〜トランプわすれた〜」と一人が言えば「俺、持ってきた」とおとなしく言う。3人で声を揃えて「ナイス!」だって。なんじゃそりゃ。まぁ、旅に出る前のハイテンションは万民同じでそこを批判するつもりはないが、せっかく優雅に車窓の景色を眺めているぼくにとってはいくぶんか迷惑だった。しまいには、実際にそのトランプをやりだす始末。「なんて典型的に楽しむ奴らだ。」

新大阪を越えて、見慣れた福島もこえる。大阪ドームのすぐ横を通り過ぎて、関空に着いた。74分で関空に着くはずが、やはり朝のラッシュ時なので大きめの駅や踏切の前で速度を落とす。1時間半程かかったのではないだろうか。例の3人組も大富豪を3ゲームくらいやってから。

少しのんびりめに家を出たので、空港に着いてキャセイパシフィック航空のカウンターに着いたときは、もう搭乗時間の1時間半前だった。もうこんな時間になれば窓側の席は空いてないかな〜と思うと「窓側か通路側どちらがよろしいですか?」と聞かれた。ラッキー。「窓側で。」と答えた。お金をATMからおろそうと三和銀行のATMをさがす。インフォメーションで聞くと関空に三和銀行はないというではないか。なんてこった。仕方がないのでvisaのキャッシングで1万円をおろす。空港内には旅行会社のバッジをカバンに付けた人達が多い。出国するのに並ばないといけないだろうと思い早めに向かう。セキュリティには案の定つかまる。ちょっと気付いたのだが、日本の出国スタンプの色が濃い青から水色に変わったではないか。今年の2月にネパールに行ったときはまだ変わっていなかったので、おそらく2000年4月からなのだろう。

キャセイ・パシフィック航空565便香港行き台北経由に乗り込む。なんと全席プライベートテレビ付きで、頭の所に外国の列車のように「もたれ」がついている。新聞をもらい読んでいると飛行機が動き出す。「えっ?」と思った。ぼくの感覚ではまだまだ乗り込んでくる客がいると思うほど機内が空いている。僕の席の横はおろか、まさしくガラガラだった。こんなのは初めてで、ここまでガラガラだとわざわざビジネスクラスに乗っている人が気の毒になる。2つの座席を縦横無尽に使いたい放題なのだ。快適だった。が、台北までは2時間半、流されるテレビ番組はしょーもないモノばかりだった。「ザ・ビーチ」のメイキングがあったのでそれを見ていた。機内食はチキンかポークだったので、チキンを頼む。その時はちょうど昼時でお腹が異常に空いていた。ポークだとライスがついていたのにチキンにはポテトではないか。これまた初めて機内食をおかわりしたい気分だった。だいたいこんなに空いているので機内食もかなり余っているはずだ。「もう一ついかがですか」くらいの気の回しようがあっても良いのではないか。まぁ、勝手か。

2時間半のフライトで台北の中正国際空港に着く。パスポート・コントロールの前で1万円をニュー・台湾ドルに替える。2,670 NT$。1NT$=3.7円。両替のレートを見ていると日本人が話しかけてきた。「これって良いんでしょうかね。」と。一見学生風のその人は30歳の銀行員だそうで、久しぶりに休みをとって一人で海外に来たそうだ。少し話したが、彼はホテルとエアーのついたパッケージで来ていたのでピックアップが空港に来るらしい。入国してすぐ別れた。パスポートに押されたスタンプに「中華民国ROC」とあった。台湾は一つの国として認められていない現状を目の当たりにした気がする。もっと言うなら、例の銀行員の人から聞いたのだが、台湾ドルは日本に持ち帰っても換金できないそうだ。国交がないのが理由。

飛行機から降りたとき、異様な臭いを感じていたが、入国を終え、空港の外に出るとそれにもなれていた。ホテルを取っているため気が楽だ。空港外の喫煙室で一服してから市内までのエアポートバス乗り場へ。バスの数は多い。どれに乗ればホテルの近くまで行けるのか?なんて調べるより無造作にぼくのホテルのある民権西路を指し示しその辺の人に聞く。台北市内に向かうバスはいくつか在るらしく、たまたまその人が教えてくれたAir Busは安い方のモノでラッキーだった。チケットを空港内で買わないと行けないということで、もう一度戻って90 NT$で購入。チケット売場では、しつこく民権西路にいくかどうかと、行くなら何番目のストップかを聞いた。そこまで神経質になった理由は、外国人ならまず台北駅に行くだろうと思われているに違いないと感じたからだ。ぼくのホテルは台北駅より空港側にあるので、行き過ぎになってしまう。バスを待っている間、初老の日本人と話した。退職してこれから長期に渡りニュージーランドのオークランドで過ごすためにやってきて、ここ台北で10時間のトランジットが在るらしい。このAir Busは周遊なので、とにかく時間つぶしに台北を見ようという心積もりだそうだ。なんて羨ましいんだろう。退職をして海外で過ごす。かなりの理想だ。2番目のストップが民権西路駅だと聞いたので、バスに乗り込み車窓からの風景を楽しむ。と、バスは次々にとまる。何処が一番目のストップか分からない。関係者を何人か乗せているので少し進んでは止まり、1人か2人ずつおろしていく。不安になったので運転手に聞いた。「まだまだだ。」と言われる。初老が教えてくれた、「市内まで1時間くらいかかるらしいよ。」と。そうくれば安心して車窓の景色を楽しめる。

高速に入り少し渋滞したが、予定通りに台北市内へ。漢字だらけの看板で賑わっている。バスも日本と違って左運転で、もっと違うのは、窓という窓にいっぱい字が書いてある。犬の顔をバーッンと書いてるバスも在れば、色使いに首をひねるモノまで。隣に座っていた女子大生が「何処で降りるの」と日本語で尋ねてくる。持っていたバスマップの「民権西路」を指さすと「私と同じ。まだまだ」と言う。でもその会話の1分後くらいにバスは止まり僕たちは降りた。彼女は日本語が話せるので簡単な会話をして別れた。同時に例の初老とも別れる。降りてまず一言、「暑〜い」。蒸し暑い。

降ろされた場所はかなり大きな通りでそれ沿いに歩き出す。ホテルに向かって。排気ガスとなにやら原因不明の粉塵で目と鼻が痛い。進めど進めどサッパリ分からない。いかつそうなおっちゃんにガイドブックを見せ、MRTの雙連駅近くのホテルまでの道を聞く。英語で終始質問するぼくに「ちょっとまってくれ、彼の方が分かる。」と北京語でおそらく言い、携帯電話で話している男性の方を激しく叩く。「いいよ、いいよ」とぼくが言い、ここから近いかどうかだけでも聞きだそうとした。彼は、一生懸命英語で説明してくれる。「ここをまっすくいって、あのブリッジを左に行くんだ」と。ブリッジ???と最初は思ったが、歩道橋の事だと理解し礼をいって別れる。いい人だ。

言われるままに進む。本当に大阪並の街だ。でかい。日本いるのとそう変わらない。セブンイレブンにサークルKもあるし、流れている音楽はドリカム。セブンイレブンに入るとキックボードに乗った若者がいて、おでんまで売っている。ただ、完全に外国を感じるのは、はやり漢字だらけの看板だ。ファミリーマートは「全家便利商店」となる。

暑い中、いろんな店を覗きながら雙連駅を目指す。こんなに気持ちに余裕があるのは、ホテルが決まっているからだろう。駅を越えて大きな病院があり、それを右折して少し進むとホテルがあった。「金星大飯店」。午後4時にチェックインをする。カウンターで " I have a Vaucher."と英語で話しかけると「そうですか。」と日本語で返された。恥ずかしい思いをしたではないか。バウチャーを見せチャックインする。部屋は値段相応。広いは広いがファシリティーはいまいちだ。バスルームもミニ・バーも。ちなみにミニ・バーにあったスプライトは50 NT$で、外で普通に買うと20 NT$。このへんは万国共通だ。

部屋でタンスを開けると日本人のサインがいっぱいあった。〜参上とか、〜大好きといったものなど。フランクフルトのユースホテルのトイレにあった類のものだ。その中に苫米地のモノがある。彼は広島のルーキー投手。どうやら台湾に遠征に来たときこのホテルのこの部屋に泊まったらしい。その横にぼくの名前も書いておいた。阪神ファンということもしっかり書いておいた。テレビのチャンネルはケーブルらしく非常に多い。日本の番組のかなりのモノだ。一休さんに家なき子まで。J-POP専門のチャンネルにNHKまである。

何処かへ食べ行く事にする。ホテルを5メートルほど行くと中山北路二段にでる。大阪の御堂筋にそっくりなほど木々があり、車にバイクが行き交う。バスで台北に来て、少し歩いてすぐ気付いたのだが、原付バイクが異常に多い。でも、50ccではないからなのか、二人乗りが多く、ホンダのDIOなんて言うのもあまりない。粉塵よけのためにマスクをする人が多い。半キャップが多いのは日本と台湾ぐらいではないだろうか。その中山北路二段を南下。空港でとったマップで点心が美味しいという店へ。南京東路一段という大きな通りまで行くと行き過ぎになるのだが、ドンドン歩いているとそこまで出てしまった。警察にレストランの在処を聞く。来た道を戻る。それにしても日本そっくりだ。洋服の青山まであるではないか。横断歩道はあまりなく、地下道で渡る。いろんな人が地下にはいる。呆気にとられたのが、横に「恵」をもらうコイン入れの箱を置き、その横に腰掛けタバコを吹かすオヤジがいた。「おいおい」って感じだった。

目指した店は「老爺大酒店(ホテル・ロイヤル・タイペイ)」の3階にあるレストラン『明宮』。エレベーターで上がり、3階の扉が開くとちょっとたじろいだ。高級すぎる。みるからに。Tシャツにジーパンのぼくが来るところではないようだ。でも、乗りかかった船だ、そのまま喫煙側の席に腰掛け、1000NT$のコースを頼む。それが一番安かった。北京ダックの前菜から始まって、次にフカヒレスープ。はっきりと形のわかるフカヒレだ。本当に美味しかった。濃い過ぎず、むしろ薄目の味付けでまろやか。そして、プリプリのエビとカラスミの野菜炒め、美味しいと感じ、お上品に食べられるチャーハンと続き、フルーツに甘さ控えめの冷たいお汁粉の全6品。それにビールを加えて1,265NT$(4,680円)だった。本当にちゃんとしたレストランだった。チップ制度は基本的にない台湾なので安心だが、サービス料が230NT$というのも納得だった。高級晩餐に舌鼓を打った帰りにセブンイレブンで靴下(SWEPEという謎のロゴ入り) 120NT$と、夜食用にカップラーメン(17N$)、缶ビール(36NT$)、1リットルの水(28NT$)を買う。この4つでさっきのレストランのサービス料くらいだ。

ホテルに戻ってJET TVというJ-POP専門のチャンネルを見たり、統一 vs 兄弟のナイターを見ながら、明日の予定を決めてシャワーを浴びて寝る。NHKで知ったが阪神が巨人に12-3で勝ったらしい。対巨人戦5連勝。気分がいい。



5月13日(土)
  
台北、2日目。


朝7時半に起床。昨日の夜は結局即寝をしたので結構清々しい朝を迎えた。ホテルは8時半くらいに出る。MRTの雙連駅からまず台北駅へ。この街を動くにはMRTが非常に便利だ。街の中心なら20〜30NT$でいけるし、駅は広く綺麗。地下鉄である部分とモノレールである部分とに別れている。蒸し暑いのは朝からだった。台北駅で乗り換えて、龍山寺に。この日は何やら大きな行事をしていて、中にはいっぱいの人が線香から煙をあげ祈っている。マイクからスーツ姿の政治家風の男が話しかける。このお寺は完全に中国的な色使いで日本の様に癒し系のモノではない。極彩色を好んでつかっている。

龍山寺から西門まで歩く。土曜ということもあるのかも知れないが、街全体が動き出すのは午前11時くらいからで、こんなに朝は早くから気合いを入れて動き出したことに後悔した。台北の新宿と呼ばれているらしい西門町はさすがに普通の街だった。映画館にデパートにブティック。歩いている人もなんら日本人と変わりのない顔に服装だ。不思議なのはそれでも日本人であるぼくに気付く現地人。閉まっている店が多いので興味が津々と惹かれることもなく、ただただ暑かった。ただ、万華周辺の漢字看板にはカメラを向けた。かなり外国だった。

歩いているとどこか懐かしく感じた。ニューヨークやロンドンのチャイナタウンそっくりなのだ。西門に向かう途中でコンビニに入り、道を尋ねる。日本語と英語で尋ねたのだが、ここ台北では英語で必至になるより、日本語でとにかく話し続ければ、なんとか意図を理解してくれる。カフェでもそうだ。そのコンビニの店員は、携帯電話で日本語の話せる友達にでも電話しているのか、ちょっと待ってといって電話をし始めた。僕が英語で "Near from here?"と聞くとそうだというのでとにかく教えられた方向に真っ直ぐ歩き西門を目指した。途中で屋台に入る。小籠包 60NT$で12個入り。皮が分厚く中の肉汁が噛んだ瞬間にあふれ出す。その店で初めて台湾に来て本場の小籠包を食べた。後は揚げパン。店員とかなり話してメニューを決めた。と言っても、向こうは完全に北京語のみでこちらも日本語のみだが。それでも何とか通じるモノだ。ここ台北では小籠包をたこ焼き感覚で売る。もちろん、日本文化が入り込んでる台北にもたこ焼きは在るのだが、日本人がたこ焼きを買う感覚で、そして食べる感覚で小籠包を買う。つまり、日本でたこ焼きを買う場合も出来たてあつあつが在るのと同じで、小籠包でも買うタイミングが非常に大事になる。

その後も歩き続けると台北駅まで来た。台北のノッポビル新光ビルに三越が入っていたのでそこに行こうとして、開店の11時まで少し時間があったのでカフェに入った。台北ではカフェでの注文が特徴的だ。店員は伝票を客に渡し、客が自分で食べたいモノや飲みたいものをチェックし、店員に返す。が、日本人にとってそれは難しい。英語表記が全くないので、漢字だらけのメニューから推測するしかないのだ。アルバイト風の店員は英語が話せないので漢字からメニューを推測する。

新光三越へいくが、なんら日本と変わらない。置いているモノも、値段も。ただ、ここ台湾でも明日の日曜日は母の日らしく、それ関連の広告が目立つ。ただ、一つ面白いのが、各フロアに付けられた名前である。少女館や仕女館など。この三越の横に大亜百貨店があり、大阪の梅田のようにデパートが鼻を付け合わせている。

台北駅からまたMRTの淡水線に乗り込み新北投へ。ここは市内から少し離れており温泉街だ。まず北投までいって、そこで乗り換える。駅を降りると街が広がる。公園を横切り、温泉の在るところまで坂道を登っていく。暑さは最高潮に達しており、温泉という気分でもなくなってくる。温泉といっても日本のように大浴槽ではなく、区切られたシャワールームのような所にただただつかってそして出てくる公衆浴場。あまり乗り気でなくなってくる。リュウマチや高血圧を治したい人じゃないんだから。目の前には「熱海」なんてゆう大きな看板があった。

禅園という所でお茶をすることにする。遠足の様に暑くて疲れて何度も立ち止まったが、いうほど嫌気はしなかった。本当に日本の知らない地域を歩いているような感覚だ。が、歩けど歩けど見つからない。近くで昼寝をしている造園師たちの長に道を尋ねる。彼は日本語も話せて、なおも日本通。林春銅さん。道を尋ねたのだが、今取りかかっている造園の説明をし始める。分かった分かった、だから禅園は何処?って聞くと、全くの見当違いで、新北投の駅まで戻らないといけないではないか。なんだったんだ、いままでの暑さと苦労は。林さんに別れを告げ、来た道を戻る。かなりの下り坂だ。この道を登ってきたのだから、こんなに汗をかくはずだ。駅に戻る途中でカフェに入った。ここのアイスモカは非常に美味しかった。日本で出会っていたなら通ってるだろう。90NT$。台湾人はシャイな子が多く、多くを語りたがらない。それも若者だけだが、おばちゃんはなんやかやと大阪並に話しかけてくる。

疲れと汗から一度ホテルに戻ることにした。やけにゆったりとした時間が流れていた。そうゆう時間の使い方は海外特有で、そんな中にいることが心地よかった。

ホテルに戻って夕方までのんびりする。フロントで1万円を両替する。2,630NT$。少しレートは悪いが、土曜の夕方なので銀行が開いておらず仕方が無かった。一眠りして、6時半頃ホテルを出た。

行き先は今回絶対行きたかった夜市である。しかも、一番面白そうな士林の夜市。台湾のJET TVで今週のJ-POPベストテン、ナンバーワンはDo as Infinityだった。やはり金城武が出ていた月9ドラマ「二千年の恋」の影響だろう。

士林へはMRTで雙連駅からすぐ。士林駅の手前、劍潭駅で降りるとすぐ前の大東路沿いに士林夜市が開かれている。かなりの規模だった。土曜日である事もかなり影響しているのだろう。屋台が建ち並び、元々小さな路地に店を構えている所はこの時とばかりに大安売りをする。衣・食・小物までありとあらゆるモノがあり、トカゲなんて言うペットまである。活気と熱気はすごい。アジアの臭いがプンプンと漂い、飛び交う北京語がそれらを助長する。小さめの道は完全に歩行者天国になっており、道の真ん中に無理から屋台を出し売り込んでいる。と、彼らが大急ぎで店をしまいだした。そして、一目散に何かのスープを入れた大きなナベを揺らしながら逃げる。その後ろから警察が追う。が、人混みに紛れて警官は思うように追えない。そのすきに強引な露天商達が散らばった。後に掴まってる林檎飴風の屋台のオヤジを見た。せつなすだった。

士林夜市では屋台ラーメンと小籠包を食べた。ラーメンは醤油ラーメン。卵麺がやけに美味しかった。ぼくが今までに食べた屋台ラーメンでキングなのはバンコクのラーメンだが、それに迫るほどではなかった。日本人にあわせたのかどうなのか、かなり中途半端に感じた。その屋台にテレビがあって、渡辺久信が投げていた。小籠包の方は、ラッキーなことにできたてほやほやで肉汁の熱さで口の中が火事に成る程だった。人混みの中をぬうように歩き回って4時間、ホテルに戻ることにした。活気と独特の雰囲気、そして臭いは、日本では感じられない台湾を見たような気がした。帰りにスターバックスでお茶をした。さすがに英語が通じた。日本のスターバックスでバイトしてる店員もあれくらい英語が話せるのだろうか。劍潭駅の改札はすごい人混みだった。どれだけ電車が混んでいるのかと心配したが、電車は空いている。後で分かったのだが、台湾人の行動は遅い。よく言えば日本人の様にセカセカしていないので、切符を買うのものんびりやるのだろう。それにしても夜市は面白い。大マーケットだ。ロンドンのカムデンなどマーケットにはかなりいったが、あのアジアテイストな香りは病みつきになりそうだ。京都の木屋町も台湾人から見たら日本特有の活気と見られているのだろうか。この日、ふと発見したのだが、日本でキックボードがはやっているのは若者の間で、台湾の場合、子供達の間でのブームのようだ。



5月14日(日)
  
台北、3日目。



朝8時半に起床。9時半にホテルを出て、近くのBrown's Coffeeで朝食をとる。ビーフベーグルにコーヒー。150NT$。ゆったりした朝の始まりに心が和む。オープンテラスから中山北路二段を眺める。忙しそうに車が行き交うが、歩行者はそんなにいない。やっぱり日曜の朝だからろう。

MRTの淡水線で終点の淡水に向かう。海水浴場が在るので、そこで寝ころんで身体も焼こうとしていた。が、曇り。昨日はあんなに暑かったのに。僕は気合いを入れて短パン姿だったのだが、こう曇っては少し恥ずかしいではないか。MRT車内はニューヨークの地下鉄をモデルにしたような造りでまだ出来て新しいのか本当に綺麗だ。北投駅ストップの電車に乗り込んでいるのに気付かずみんなが降りていくのを不思議に眺めていたら、ギリギリのところで気付いた。淡水駅を降りるとお祭り状態に出店と人が所狭しとあった。陽は照っていないが暑い、蒸し暑い。そんな中、蒸し物を売る店が多い。しゃれか?ひたすら駅から海水浴場に向けて歩く。途中でソフトクリームを20NT$で買う。台湾のソフトクリームは日本のように柔らかくない。その特徴を活かしてか、初めからそうしているのか、やたらと長いのである。コーンの部分から20p以上クリームがニョキッと延びる。それがおかしくて、笑っていると、店のおばちゃんちゃんは調子に乗っていつもより長くしてくれた。座って食べようにも、汚い(ドブ状)海からの悪臭が漂い、気温が高いので、アホみたいにのびたクリーム部分がタラタラ溶ける。風が吹いているのでそれが縦横無尽に飛び交う。食べるより早く猛スピードで溶けていく長いソフトクリームには本当に四苦八苦した。

海水浴場には行けども行けどもつかない。大学が在ったのでそこに入って座ろうとしたが、その手前にあった公園のようなところで一休みする。その後、カフェに入ってアイスコーヒーを飲む。またまた大ヒット。美味しかった。ここら辺はやはり海の家風で便所も汚い。まぁ40NT$であのアイスコーヒーが飲めたんだから文句はない。カフェを出て、海水浴場に向かったが一向に着く兆しがないので戻ることにした。ダラダラと汗が出る。バスを待っても来ないので歩く。駅に向かう道はいくつかあって、来た道とは少しだけルートを変えて歩いた。出店の一つに海賊版CDを売ってるのがあって、そこで宇田多ヒカルのCDを100NT$で買った。台湾では英語も日本語もかなり強引に漢字にするのだが、例えばファミリーマートしかり、メジャー速報でエンジェルスの事はそのまま「天使」になっていた。が、宇田多ヒカルは、宇田多と言われている。なぜヒカルまで強引に「光」としなかったのだろうか?謎だ。

そのまま、MRTで雙連駅に戻り、駅近くのカフェでランチする。チャーハンにコーヒーがついて130NT$のセットだ。日本語を話せる女性がいたので色々話す。そこで初めて台湾人は北京語だということ知った。おそらく香港は広東語なので話しは通じないのか。だいたい、中国の北京語とも少し違うとその女性は言う。そして、今、台湾の若者は本当に日本語を学ぶ人が多いという。それは将来役に立つからだそうで、英語の次に日本語が人気言語らしい。「あなたも北京語、学んだ方がいいよ。」と言われたが、残念ながらその気はない。まぁ、特記すべき味でもなかったのだが、その値段にビックリだ。缶ビールを100NT$とられているではないか。ぼられたか?気分はそれで一気にブルーになった。

ホテルに戻って一休みする。夜は台湾プロ野球を見に行くのだ。昨日なら渡辺が投げていたのだが、一日遅れで行く。台北の球場は市内のど真ん中にあり、もとの大阪球場のようだ。MRTの淡水線で台北駅に行き、そこから乗り換えて、忠考復興へ。そこでまた乗り換え、無人運転のモノレールに乗って南京東路までいく。駅の反対出口から出てしまって、球場までは遠回りすることになったが、ハードロックカフェを右折すると、中華式建築なんてものがあるのかどうか知らないが、見るからにそれっぽい門がある。市民球場の切符売り場で内野の全票(大人)を買う。

200NT$。内野と外野という分け方しかしていないので、内野さえ買っていれば1塁側にも3塁側にもバックネット裏にでも行ける。ホームは黄色のユニホームに身を包んだ「兄弟」で対するは、統一ライオンズ。まったく知っている選手がいないので、初めはバックネットのすぐ裏で観戦していた。4回が終わり3塁(統一)側に移動。ネットがないので近くに選手も感じられるし、なかなか面白い。応援の方はビジターでありながらがんばっている。とにかく最初に驚いたのは応援にマイクを使うことだ。そして、みんな団扇のような太鼓と笛をガンガンに響かせる。統一は2点ビハインドからぼくが3塁側に来た瞬間の回から反撃を始めた。2点を奪い結局延長10回の末、2-2の引き分けだった。何よりもプロ野球らしからぬ球場に台湾野球のレベルを見たようなきがする。石の席なのでけつがそりゃそりゃ痛い。なんか、スポンジ状の座布団なんかを売っていたが買う気にもならず、何度も何度も「ベントー」と売りに来たおばちゃんも無視した。北京語でも弁当は「ベントー」というのか。しかもグッツ屋にはノムさん人形があった。日本人客を意識しているのか?でも台湾でも日本のプロ野球は結構人気があると思う。後ろの席の男性は西武ライオンズの帽子を被っていたから。統一ライオンズのライオンズつながりなのか?

帰りは淡水線の中山駅まで同じルートを通り、中山から歩いた。大きな通りである中山北路二段も見納めとなる。紅宝石酒桜というレストランに、ぼくは初日から目を付けており、そこを目指し歩いたが、結局閉まっていて、大穀ラーメン台北店に入った。180NT$でビールとチャーシューメン、餃子が食べられる。店員は台湾の若者だが、「いらっしゃいませ」から始まって終始日本語を通そうとしていた。面白いのが、その時店内にはぼく以外に日本人はいなかったのにも関わらず、誰かれ構わずありがとうございました、と繰り返していた。味は日本の味。捨てた物じゃないなと思った。やっぱり、日本のラーメン屋で食べるラーメンと餃子の味はぼくの心を捉えて止まなかった。

この日、NHKで小渕元首相が死去したことを知った。



5月15日(月)
  
台北、4日目。



8時半頃、ホテルをチェックアウトをして、故宮博物院を目指す。なにやら世界四大博物館の一つらしい。MRTで雙連駅から士林まで行き、そこから初めてのバスにのる。304番に乗り込んでお金を払おうとすると15NT$と言われた。が、ぼくはその時コインは50しかなく、これしかないと言うと、じゃ入れてと運転手に言われる。なんとバスは両替機も無ければお釣りも出ないのだ。地元の人は多くがプリペイドカードなので困ることはないだろうが、ぼくのような旅行者は困る。子供連れの女性が「しかたないわね」とちょっと怒ってたぼくを北京語で慰めてくれた。

それにしても今日は暑い。ジリジリ暑い。今日は重い荷物、いや重く感じるにもつを持って歩き回るのに、そこにきてこう暑い。昨日これくらい陽が照っていたら淡水の浜辺で心地よかったのに。

バスは15分ほどで博物院についた。暑い日差しに何の抵抗もせずただただあたりながら綺麗な舗装道を行く。博物院の外観は完全にリノベーション中で、かなり残念だった。入場料は80NT$。大きめの荷物は入り口で預ける。無料だ。この博物院には絵画も含めた「書」と「陶器」、「玉」、「彫刻」などが年代を追って展示されている。ちょうど特別展がやっており、宋代の物をフィーチャーしていた。ぼくの関心は「書」にあった。高校の選択科目で書道を選択したとき、耳にたこができるほど出てきた楷書の大家、王羲之の物や、蘇軾、北宋の皇帝である徽宋の詩帖などがある。坐像を初めとする宋代皇帝の掛け軸も見応
えがあった。また、この宋代から世界で有名になる景徳鎮の陶器などもある。陶器には深い赤色や濃い青色など様々で、中国文化の深さが知れる。日本文化も元をたどればここに行き着くわけで、日本人風に改良された美しさに日本人として誇りに思うことも京都の街を歩いていると多いが、さすがに本物と思わせる底力がそこにはあった。

と、いうより、この博物院にはツアー客がいっぱいで、ガイドが説明しているとその周りに客がぐるりと囲み、そしてついでにうるさい。終いには小学生も遠足気分でやってきて大騒ぎしだした。ちょっとあれにはまいる。

帰りの飛行機は16:05発なので14:00には空港に行かないといけない。空港までは1時間かかるので12:00には雙連に戻り、ランチを食べて空港に行かなくては。博物院を出ても一向にジリジリの暑さには慣れなかった。帰りもバスで帰る。タクシーの客引きを利用してバス停の場所を聞く。日差しを避ける物の一切ない場所で待つ。しばらくしてバスが来た。やっと乗れると思い、二度と同じ事はするまいと15NT$きっちりを用意して乗り込もうとした。と、運転手は両手を大きく振ってどこかを指さしそのまま走り出す。「のせろよー」と日本語で叫んだがおかまいなしだ。必至でバスを追う。繰り返すが、暑いし、荷物は多い。そんな中走った。バスはなんと少し離れた車庫へ入る。え〜。ここまで来たから一番近いバス停でまたまた待つ。その姿を見た優しいおばちゃんが、早口の北京語で駅の場所を教えてくれた。何となく理解して、そこでまた待つ。やっとの思いでバスに乗り込み、士林駅に行くかどうかを運転手に確かめ乗る。ボーッとしていたら、モノレールの線路を越えてバスは進む。うんっ?運転席まで行き、「士林駅はまだ?」と英語で言うと「あっ、もう過ぎたよ。さっきの駅だ。」かなんとか北京語で言い、信号待ちのバスの出口を開けてくれた。危ない危ない。最後のMRTに乗り雙連駅へは昼前についた。ホテルの近くにAir Busのストップが在るので、その近くでランチにした。ダンテと言うカフェで140NT$のチキンサンドとアイスカプチーノ。マルボロライトも買った。40NT$。昼食後20分間かくのエアバスで空港へ。

サヨナラ台北だ。強い日差しの差し込む中、後にした。空港までは90NT$。空港へは結局1時半頃つき、免税店でお土産のチョコレートと台湾ウーロン茶を買う。全部で1,500NT$。やっぱり空港は高い。日本語を少し話せる店員には注意が必要で、お金の通貨を何でも「エン」と言ってしまう人が多い。400NT$のチョコレートを必至で「400エン、400エン」と言ってたから。まぁ、あり得そうもない金額なら良いけど微妙なときは紛らわしいだろう。予定通り、香港から台湾を経由して、大阪に向かうCX564が飛び立つ。機内食のサーブを一時ストップさせる程、気流が悪く、機内はかなり揺れた。来るときはあんなに空いていたのに、帰りはいっぱいだった。

大阪の街に降り立ち、車窓から眺めていると、なんとも異様な、ついさっきまでみていた「よく似た」台北の街並みと、大阪の街が、やはり全然違うことに気付き、それがいったいなんなのかを考え初めると眠くなって眠った。

台北の旅、無事終了。



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