山下彩香さんの母親、京子さんの手記を読んで僕は「ゾクッ」とした。それはまるで「ゾッと」したというニュアンスに近い。その後、ゆっくり「感動」した。感動した胸の中で首をかしげた。
愛娘の命を突然奪われた母親として、加害者の少年に向け、

「現実社会は決して甘くはありません。そして、平穏な日々ばかりの人生ではないでしょう。それでも、人間を、生きることを、放棄しないで欲しい。それこそが私たち遺族の痛みを共有することになるのです」とメッセージを送っている。

もちろん、自分の気持ちを整理できうる「文章」という形式をとっていること、そして多くの人に「読まれる」ものだと書く時点から認識していることから考えると、そう言うだろうと判断する人もいるかも知れない。もしくは、6年間という時間(短い長いの問題ではなく)の間隔をおいたことから、そう言えるのだという人もいるかもしれません。だとしても、それでも、「痛みを共有」するという投げかけはなかなかできるものではないと思う。少なくとも、仮に僕がその立場なら、受動的に、それも突然蒙った「痛み」をその加害者と「共有」しようなどとは到底いえないだろう、と思った。
だから「ゾッと」したし、感動もした。

新聞では「社会」という言葉がよく使われる。それを見るたびに「あいまい」さを感じる。社会?その中には、あっ!自分も居るのだ、と気付いてゆっくり頷いてみた。少年が戻ってくる社会には色んな人がいるだろう。もちろん、「普通」(とは何をもっていうのかは不明だが)の人以上の「苦労」があるかもしれない。が、この社会の中には殺人を犯した少年(更正はしたと判断されるが)と痛みを「共有」しようとする人がいる。それも被害者の親が、である。あいまいな社会とひとくくりされるこの社会には。
この事は少年にとって大きな、とても大きな強みになると思う。がんばって生きてもらいたい、生きて、償ってもらいたい。

この事件がもたらした「その後」の影響。今度は、良い影響を与えるよう、あまり気を張らず、しっかりと前を向いて、被害者の人たちへ償っていってもらいたいと、僕も微力ながら「あいまい」な社会の一部から願っております。

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2004年03月11日  

痛みを「共有」する