「ケン、やくざ辞めたくなったな」
「結構、荒っぽいことやってきましたからね」
「なんか、もう疲れたよ」
「金もってると嫌になっちゃうんじゃないですか」

冒頭、車の中で村川(ビートたけし)は言う。やくざに疲れた男の結末…。沖縄の地が、最期だと思ったのか。弾のない銃のロシアン・ルーレット。じゃんけんで決めようとする「生」と「死」。

パラパラ漫画のようにシーンがぶつ切りされて、まるで海のオトコがつくる料理のように、朴訥。だからこその衝撃。北野映画を確立した一作と評する声が多い。作家・大江健三郎氏も「ソナチネ」のファンだと言う。

「死」や「殺し」、「血」という、もし目の前にそれがあれば間違いなくその日のトピックスであり、「ちょー、聞いて」と言いたくなるような「非日常」を、どことなくゆったりと流れる完全なる日常の中に、すぐ側にあるものとして描く。久石譲氏のスコアが見事だ。とても印象的。

一番初めにこの映画を見たのは僕が高校生の時。五年間隔ほどで何度か見ているが、見るほどに増す「良さ」。簡単に印象的なシーンを挙げると、

クレーンに吊した雀荘の店長を沈めるシーン。
「もう、三分過ぎたんじゃないのか」
上げられた男を見て、「死んだかな」、とまるでカップラーメンを待つ軽い感じ。

沖縄に到着した「やくざ」ご一行様を乗せたマイクロバスで、
「飲みもんとアイスクリームありますから、よかったら言って下さい」
「は〜い」と返事でもしそうな「やくざ」ご一行様。

青い車のレイプ犯と青い車での「自殺」。花火の撃ち合い。紙相撲と海岸での相撲。落とし穴。派手なアロハ。

突然の雨。
シャンプーだらけの子分たちを尻目に雨あがり、村川は女とふたり、森の中で雨宿り。「小さな恋のメロディ」か?と思うと、女は乳房を無造作にさらけ出す。

釣り。女は村川に聞く、
「平気で人うっちゃうの、すごいよね。平気で人ころしちゃうってことは平気で死ねるってことだよね。強いのね。私、強い人大好きなの」
「強かったら拳銃なんか持ってないよ」
「でも平気でうっちゃうじゃん」
「怖いから打っちゃうんだよ」
「でも死ぬの怖くないでしょ?」
「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」

【あんまり死ぬのを怖がると、死にたくなる】
この言葉は、キーワードであろう。

釣り人姿のスナイパー。
ボートに凭れた村川と女の前で、子分が打たれる。


静と動。言い尽くされたこの作品の良さ。僕は、そこに「映画全体の流れ」が巧みだということを思う。死のうと覚悟を決めて沖縄に来て、女と出会って生きることを思う。子分が殺され、破門され、裏切られ、もう、「死ぬことをあまりにも怖がりすぎ」て、一人で組織に立ち向かい、そして自殺する。

女は最後に機関銃を打ちまくる。言葉にならない感情をはき出すモードで。「やってしまおう」と思う突き上げに対して、自制する理性。それをいとも簡単に飛び越えた爽快感。

この映画は、監督四作目にして、北野武とビートたけしのバランスを絶妙にミックスさせた傑作だと思う。



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ソナチネ
Sonatine

1993年 (日本)


監督・脚本:北野 武
音楽:久石譲
出演:ビートたけし、国舞亜矢、渡辺哲、勝村政信、寺島進、大杉漣ほか