父が逝き、息子が入園という時に立ち
2015年04月12日
満開を迎えた桜の花に、真っ白な雪が積もった東京の春。4月に入ってからの積雪は、5年ぶりだとも聞きます。確かに、珍しい気候でした。22度まで上がった最高気温が、一気に6度まで下がるという具合。そんな一つ一つに、異常気象だ、と危機を感じてしまうほど、地球の限界を意識する昨今。

2015年4月10日、3歳になった私の息子が、幼稚園に入園しました。

入園式では、リス?の着ぐるみ、近所の小学校校長が列席し、父母席には、テレビでよく見る名脇役俳優の姿もあったりして。その中で、セレモニー初体験の息子は、セレモニーたる「行儀」を知らず、まぁ、自由に走り回っていました。クラス毎に撮影する集合写真の順番待ちの間、教室に入って先生の指示で唄ったり絵本を読んでもらったりする中、丸く置かれた椅子をギーギー引きずって、とにかくじっとせず。息子を「黙らせて!」と副担任の先生に指示する担任の幼稚園主任の先生。「すいません」と思うばかりで手が出せない親を余所目に、息子は自由です。そんな彼を、「見ているだけしかない」という状況に、つまり、彼は彼の世界が始まったのかと思うと、親としては、それはそれで感慨深くもあるものです。私よりも、四六時中、ずっと一緒だったママ(妻)は、余計にそうなんでしょうね。

とはいえ、機嫌がいいと、大声ではしゃぎ、ちょっと癪にさわると一気に泣き出し、ふてくされ、手がつけられない状態を見ていると、これは、これまでの、私の……教育というか、しつけというか、育て方というか、、、を、すいませんと思うばかりです。が、これからです。彼のスタートです。

どんな風に育つかは分かりませんが、今は、彼のままに。怪我をしない・させないなら、とにかくなんでも思いのまま、思うまま、もういい、と自分で決めるまで。そんな妻の方針に、私も賛成でやってきたことです。それが今の彼です。これから、いろんな事と戦い、ぶつかり、負けて泣き、いろんな経験のなかで、身につけて欲しいと願いながら、息子の旅立ちを、私たち両親は見守りました。

幼稚園へ入園する。その中で、子育てについて、を少し深く考えました。3歳からの3年間、幼稚園で何ができるか、何を期待するか。柔らかい頭と体の中に、染みこませる「もの」は、とても重要だと思っています。自分から探し出したものを最後まで全うすること。全うしたら、思い切りほめること。私たち両親が、子育てで大切にしているのは、歳に応じて、その時にしか出来ないことをじっくりと取り組ませ、出来たことをほめることです。また、本物にも触れさせたく、国内外問わず色んな所へ行き、体験・体感させています。息子がが興味を持ち、コレが好きだと選び、選んだもので夢中に遊ぶ姿を大事にし、朗らかで陽気で、よく笑い元気。歌とダンスが大好きな彼の伸びしろに、プラスでもマイナスでも、とにかく色んなものを与えたい。人見知りはあまりすることがない息子。誰とでもすぐに仲良くなります。また、一人で一つの遊びに夢中になる一面もあります。ただ、頑固な所もあり、偏食なども課題とはいえ、それも一つの彼です。同年代の子と無邪気に自然に、とてもピュアにぶつかり合って欲しいな、と私は望みながら、入園式の一日を終えました。

終えて、夜。ふと、私は享年72でこの春、去る3月12日に他界した父を思いました。

息子(孫)が出来てからは、おじいちゃんとして触れてきました。好きなモノを買い与え、何時までも飽きず遊びに付き合ってくれた祖父の顔。私にとっては、いつの間にか、「そういう」父でした。が、息をひきとり、棺の中におさまった父を見ていると、私と同じ歳の頃に、私が幼稚園に入園していたいことに気づき。私は、7つ歳の離れた長男の後に生まれた次男。ちょうど三十後半に私の入園式に出席していたのです。あの頃、父は何を思っていたのだろうか、と。今の私のように、同じことを期待し、心配し、反省し、それでも「これが私の息子」だと、自慢に思ってくれていたのだろうか、などと考えます。職人気質で口数が少なく、いつも自分よりも家族のための生活を送っていたことは想像に易く、そんな父が思っていた私。息子という存在。父がどう思っていたのかは、今となっては聞くことが出来ません。が、父となった私が思うのは、先述の通り、「これが私の息子だ」という一点に尽きます。これから、何があっても変わることのない事です。おそらく、いつも、父はそうでした。その姿が、だから父を好きでいられる理由でもあります。

私は、祖父という存在を知りません。産まれた時には、母方も父方も、祖父は他界していました。だから、聞き伝えられたことだけです。私自身が幼稚園の入園式を覚えていないのと同じように、息子も、今の記憶はないでしょう。であれば、これから、私が、何を伝えるか。息子の祖父として、そして私の父として、どう伝え、何を大事にし、どんな風に、息子の人生のプラスにしていくか。それを考えます。

息子が成長する中で、ふと父親の姿を思うことがあるかも知れません。それとは別に、息子がこれから生きていく中で、その長い道のりのどこかで、ふと思う祖父の姿。それは、これからどう伝えるかによるのだと。

桜の上に雪が積もったこの春、息子の入園を一ヶ月後にひかえ、逝ってしまった父のことを、そういう時に立った私は、思うのです。点を線に変え、広く豊かな面に変える得るように。

これが私の息子です、と強く、しかと思えるような存在を、それは、繋がっていくのだと言うこと、伝え続けていくのだ、と。



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