敵と味方
2008年02月24日
敵が何か、味方は何処か。
様々なシチュエーションでころころと変わる敵・味方の構造が、一つの組織の中で複雑に混在している。19日午前4時7分、まだ夜が明けきらない房総沖で起こったイージス艦と漁船の衝突事故を見て、思った。

昨年10月、京都の舞鶴港を出てハワイで対空ミサイル発射試験を終えたイージス艦「あたご」が、横須賀基地に戻る途中、漁船「清徳丸」と衝突事故を起こした。7750dのイージス艦と7.3dの漁船の事故。漁船は真っ二つに裂かれ、乗っていた2人の漁師は海の中へ放り出された。事故発生から6日経った現在、未だ発見されていない。

莫大な税金を投入して造られたイージス艦が、国を守るはずの自衛隊の操縦によって、国民に害を与える。これは、沖縄の米兵が日本人女子中学生を暴行した事件と、その後、沖縄と岩国の軍人家族に外出禁止令を出した一連の流れとは、当然のことながら全く意味が違う。日本を守るためとはいえ、あくまでアメリカ兵である彼らは、グループ分けで言うと「日本」と「アメリカ」という別グループにいて、その前提で、二つのグループが手を組んでいるという構造。しかし、自衛隊の場合、同じグループ内にある訳で、これは「敵」や「味方」を論じる場合、同じ枠内から矢印を延ばす、つまりイコールで繋がれた関係なのだ。

日本の国民が敵とするモノは、無論、自衛隊の敵であり、味方もしかり。シビリアン・コントロール(国民が自衛隊を統制する)という絶対条件(今のところ疑う余地もなく守られていると思いこんでいる)のもとで繋がれた関係が、今回の事故を見ていると、特に、事後処理を追っていると、少々不安になったりもする。

事故を起こした1分後の救助作業開始。
被害にあった「清徳丸」の動きをレーダーで見ていた他の漁船とは異なる自衛隊の発表。
その一つ一つが、そのまま安心の粒をプチプチと壊していくように思える。

事故を隠そうとした一つの組織にとって、「敵」は国民になっているのではないか?

国民を遠ざけ、自分たちの利権を守ろうとした場合、ないがしろにするのは本来の任務、日本を守るということになる。「敵」と定めている場所から飛んできたミサイルを、着弾前に打ち落とすことが本来任務とすれば、まさに本末転倒だ。

自衛隊は、国民の前に立って敵が存在した場合のみ守ってくれる。決して上に立っているわけではない。そんな「あやふや」な立場で、それでも日々の訓練、曝されるかもしれない危機に立ち向かっているので、労をねぎらうし、或意味で偉いなと思ったりもする。が、それはあくまで、国民のコントロール下にあってこそだ。

それがどうだろう。自衛隊という「組織」の中で、士気を高めるためか統率力を強めるためか、よく分からないが偉い人とそうでない人がいる。戦後60年以上が経って、幸せ状態の中でぬくぬくと繋がりあって舐め続けた甘い汁が、ベトベトひっつきあって存在している。彼ら自衛隊員も「個」であるはずが、組織という塊になって、引きつられるように堕落しているのでは話にならない。そんな一見の結びつきでは、「士気」も「統率」もあったものじゃない。

「個」である国民が、「組織」である自衛隊に立ち向かう時、それは今回の事故のように七千dの船と七dの違いほどに大きい。つまり、暴走を始めると、やはり止められない「船」なのだ、自衛隊は。

これは、本当に怖いことだと思う。
下手に心配しすぎる必要はまったくないが、大都会ニューヨークの、それもど真ん中にあるビルでさえ、崩れてしまうほど、世の中何が起こるか分からない。それを考えると、もっと自由に動ける「個」であり続けることが、自衛隊組織にも国民にも必要だと思う。

繕おうとする「嘘」の行き詰まりは、ギョーザでも大福でも、牛肉でも、明らかなはずだ。

ぼくら国民と自衛隊は、敵でも味方でもない。
先述のとおり同じ輪の中に存在しており、言ってみれば、その輪の中の構成要素である「個」の中から、前に立ってくれている「個」が自衛隊員ということになるのだ。

大陸からミサイルが飛んでくる。あくまで仮想だ。極めて現実味があるにしても、今のところは仮想。その「敵」ばかりを見て訓練し、税金をつぎ込んで最新鋭のイージス・システムなるものを搭載し、わざわざ数ヶ月もかけて航海した後、太平洋の真ん中で試験をした船が、漁船に衝突したのである。さて、彼らの敵は、本当にミサイルなのか?

大きいものを敵と仮定したとき、自分たちの「能力」を知らされる。その能力を高めることが必要だとシステムに頼る。八割方守れたら合格だとばかりに、小さな端数を切り捨てる気持ちが出てきたとする。夜明けには数ヶ月ぶりに日本に帰港する。そんな彼らの中の端数は、例えば漁船だったのかも知れない。そんなことは無いと言うだろうし、きっとそんなことは無いと思う。が、彼ら自衛隊員にとって、「味方」が自衛隊組織で、敵が仮想した「国」や「テロ集団」だった場合、守る土地に住んでいる国民は、敵でも味方でもないのだ。単に「守るべきモノ」にすぎなくなる。無論、同じ輪の中(枠内)にいるということでもなくなる。

そうなると、八割合格の考え方で、端数を切り捨てる。
これは完全に戦争状態に陥った「軍隊」の考え方ではないか。

どうも、自衛隊組織を突っつくジャーナリズム(マスコミを含め)に対して、「敵」と位置づける組織上層部が見え隠れして、甘い汁で溢れた「組織」をやっきになって奥へ奥へと隠そうとしているように思えてならない。個、である彼らが、組織を守ろうとする時、組織を構成する別の個、つまり自衛隊員一人ひとりが上層部にもNOを突きつけられる状態。前にも述べた「動ける個」でなければならない。

ここまで読んで、「戦争はそんな甘いことは言ってられない」と思った方がいたとする。それはそもそもの間違いで、戦争中に闘う軍隊ではないのだ。あくまでも戦争にならないために防御する組織、それが自衛隊だとぼくは思う。ここは間違えてはならない。

仮に(というより相当高い確率で)、今回の衝突事故が、海上自衛隊の「失態」からおこったこととする。この場合、ぼくら国民は自衛隊員に対して「プロ」としても防衛を求めているのであるから、これはその責任をしっかり示して欲しいし、組織(システム)として改める箇所は早急に対処すべきだと思う。

敵を想定する場合に対になる味方をしっかりと認識し、それよりも大前提として、自分たち自衛隊が前に出て守っているのは、あくまで国民のすべてであり、その代表だという自覚を持って貰いたい。味方は、同じ自衛隊組織ではないのだ。


最後になったが、何より、今回の事故で行方不明のお二方の早い発見を心より祈ります。


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