2008年9月21日(日)
3日目

ブハラ



寒くて、途中何回か起きた。
朝6時半起床。昨日の残りの日記をかいた。朝食へ行く。昨日の男性だ。24時間体制なのか?すごくよく働く。「おはようございます」など日本語も少し使う。この朝食がすごくおいしい。

目玉焼きにソーセージ、スイーツの何だろう?クレープ生地を巻いたクリーム風味、そしてやはりここでもパンだ。柔らかく少しパリッとしていて、もう焼きたて!ということも手伝って大満足だ。コーヒーがインスタントだって全然問題なし。

8:00am、気持ちいい優しい日射しと少し肌寒い中、外に出てタバコを吸う。隣で工事をしているおじさんがタバコをくれと近寄ってきた。胸に手をあててサンキューと言われた。「人」という財産がこの国にはあるなぁ。

さてブハラを歩く。

前の公園で山羊?牛?を散歩させているおじさんにあった。朝9時前だったと思う。
旧市街の路地の迷路は昨日ほどの驚きもなく、けっこうすんなり抜けられた。
が、暗くなると完全に迷子の迷子だろう。今日も注意しなければ。ちなみに、ホテルの例の男性スタッフに聞いたところ、サマルカンドのバスターミナルまで、タクシーで3000〜5000スム。9時にバスは出る。ホテルでタクシーを呼ばないと、ツーリストなのでぼられる!と注意してくれた。あとはバス代だが……。ガイドブックが古く、3000スムだが三倍はするかな。ここでパスポートを返して貰う。いつからいつまで泊まったという証明書?のようなものがつく。ロシアもそうだった。

と、旧市街を抜けて通りに出ると、青いタイルの建物だ。これから店をはじめようという始まりの雰囲気の中、気の早いツアーバスがラビハウズの周りに停まっていた。この段階では、どこが何で、目の前の建物が何なのかもわからなかった。とにかく池があったので、「コインを買わないか」という“コンニチワおじさん”に「ここラビハウズ?」と聞くと、そうだといわれた。これでやっとこの街のなんというか地図と、だいたいの様子がつかめた。このぐらいの太さの道はこんな感じで、ここの広場はこういう雰囲気だろうと、いうか。初めての国に来て、これをつかむことが、とにかくは大事だ。

このラビハウズ周辺はビールも売っているし売店も多い。昨日、旧市街の路地を歩きながら、この町の人は一体を何を食べているのか、と思うほど店が少なかったが、よく見るとバールやレストランまで、まぁツーリスト用だとしても結構ある。後に気づくのだが、裏道を歩いていけばいくほど、地元の人の通うスーパー?というかお店もけっこうあった。全体的に、外から一目みてわかる!というつくりはB&Bも含めて少なく、扉を開ければ中がば〜っと広がっていると言った感じだ。

ラビハウズの西へ。とにかくバザール、店店が並んだ通りを歩く。人形、絨毯、民族服?ポーチ、絵画、などなど。スパイスを売っているところはかなりいい香りがした。そしてさらに行くと皿、皿、皿だ。布はスザニというデザインの綺麗な刺繍。

絵付けが細かくじ〜っとみれば確かに綺麗だ。でも割れるので、買うならサマルカンドの最終日に買おう。あとASIAなど大きなホテルも目立つ。2005年の僕のガイドブックにはないところも多く、値上がりだけでなくどんどん造られているのだろう。

しばらく進むと、ウルグベク・メドレセが見える。メドレセは神学校のこと。とにかくゲートのようなところが青いタイルで装飾され、とてもきれいだ。そこを左に折れ、タキ・ザルガランというバザールを抜けると、カラーン・ミナレットだ。低い建物が多いので、離れたところからもこのミナレットは見えており、それを目指して歩いてきたんだけど。左側にミル・アラブ・メドレセ、右にカラーン・モスクを挟んでミナレットは建つ。ミル・アラブ・メドレセはソ連時代にも活動が認められた唯一のメドレセらしく、何と言っても中央のアーチの両サイドにある2つのドームが印象的だ。あまりの美しさにしばらくの間、ぼ〜っと眺めていた。そしてカラーン・モスクに入る。とにかくでかいモスクだ。中央アジアで2番目の大きさ、と日本人ツアーのガイドが言っているのを盗み聞きした。入場1000スム、カメラ1000スム。初め、知らずに入ってしまい、入場料、入場料と呼び止められた。ぐらい「チケットオフィス」という感じはなく、机においたザラ紙に値段を書いて渡してくれるのみ。アーチをくぐると正面にどでかいドームが見える。ドームの上に「月」が出ていた。半月だった白い月の下、ドームの上には月の飾りが重なる。周囲を囲むように回廊があり、208本の柱で支えられている、とか。陽が当たって気持ちよかった。正面右側の奥に、絨毯が敷かれた礼拝所?があり、靴のまま入ろうとすると、中で本を読んでいた青年に注意された。静かだ、本当に無音だった。足音や本をめくる音まで響く。が、思い切り寝ている人も何人かいたりして、いったいここは何?と思ったりもする。

そこを出て、ミナレットに登る。別料金4500スム。高さ46m、105段という螺旋階段を登っていく。外観は筒状のミナレットにこまかな装飾が施された美しさだが、中は暗く急だ。少し怖い、とも思える。このミナレットはかのチンギス・ハーンでも壊せなかった。そして町中が崩壊した大地震でも残ったところで、一時は死刑人を落としたとも……。

とにかく、はーはー言いながら登り、上から眺めるブハラの町は爽快だった。
遠くスタジアムまで見渡せる。
そしてカラーン・モスクの回廊の上、288という丸屋根がぼこぼこ見える。
アルク城の壊れた?様子も見渡せた。

ミナレットを出て、アルク城へ歩く。店が多い。絨毯専門?のような一角には、よくあれだけでかいものを縦にかけたな、と関心するほどのところもあった。

古代ブハラ発祥の地とされ、2000年ほどの歴史があるというが、1920年のロシア軍侵攻までブハラの王が住んでいたところだ。半分以上は壊れている。外壁は異常に存在感はあるが、ここからカラーン・モスクとミナレットの遠景は乙だった。

入場料6800スム!これには驚きだ、完全に外国人を料金だろう。前にいたウズベク人?っぽい一行は500スム札を出していたような。まぁ、いいけど。ここでもチケット売り場が分かりずらかった。

城内は店がいっぱいで…。時折展示室がある地中から掘り出された?品が並べられていたが空調などそっちのけで、ただ置かれている。おそらく価値があるだろうに大丈夫なのか?と心配になったり。皿や壁画があった。そして、それぞれの展示室で、入り口の椅子に座っている係員がミサンガ?のようなものを売っていたりする。500スムで思わず白いのを買った。「いいんだ……」というのがまずの感想。その後も上に登っていく都度、展示室があり、広場のような土産物屋が品を広げている奥に、王と王妃?の服が置いてあった、ただたたんで。「トモダチ、トモダチ」というついてくる男に教えてもらったが、あれがなかったら素通りしていただろう。それほどにあっさりしているというか、簡素だ。

近代の兵士の衣装やサーベル、大砲など、その辺りの展示が印象に残っている。
最後に城壁からしばらくブハラの町を眺め、城を出た。

来た道を戻る。

子供の店番が目立った。鳥やドラゴン?のハサミが並べられた店でぼんやり見ていると少年が出てきて「ハサミ、ハサミ」と日本語を話すので、「いくら?」と聞くと黙られた。「ディスカウント」といっていたので僕の日本語をニュアンスでつかんだのだろうが、その「いくら?」が通じないという風に、僕は頭を振りつつ遠ざかると、その少年は隣の店のおじさんに「いくらってどういう意味?」なんてことを聞いていた。ハウマッチだよ、と教えてあげればよかった。彼らはそうやって覚えていくのだろう。本当にいつも、こういう人達のたくましさには関心する。学校でノートなんてつけてたら覚えないんだよな、外国語なんて。

大通りまで戻り、さっきとは違う路地を色々回りつつ、ラビハウズへ。レンガをセメントで並べ、そのセメントをこね……と、元気よく遊んでいる子供たちの年齢を少し過ぎた、中学生ぐらい?の男の子は日曜も関係なく働いていた。日曜だから手伝っているのか?旧市街の入り口を歩いているとB&Bが実に多いことに気づく。

ラビハウズに出て、その池沿いのオープンカフェでビールを飲んだ。「SARBAST」という、よく広告をみるもので、3000スム。とても冷えていて美味しかった。12:00pmだったが、陽気に誘われてつい。

欧米人もビールを飲んでいたなぁ。池の側にあった「青い布袋様?」のような像がかわいかった。ほろ酔い気分でブラブラと。もうどこを歩いたか覚えていないが、この町は旧市街がそんなに広くないので、だいたい右に折れて、また右におれたら元の通りに出る、という安心感がある。KAFEもよく見ると多いなぁ。

結構歩いたので一旦ホテルに戻ろうとラビハウズの前でクッキーのようなものを1袋とファンタオレンジを買った。2500スム。ホテルに戻ると、掃除の人が僕の「30」の部屋を掃除中。あ、禁煙でもタバコを吸って、ANAの汚物袋に入れてたの、ばれたかな?など心配する。ジュースだけ冷蔵庫に入れて、少し離れた廊下のソファに座って待つ。眠い……。と、終わったからどうぞ、とその女性がいいに来てくれ、綺麗になった部屋でカメラを充電。その間に僕も二時間ほど眠ってしまった。

カメラ同様、フル充電になって?ホテルを出たのが午後二時過ぎか。まずはホテル近くのスタジアムへ。この前の道の広さが、ロシアの名残を思わせる(ほどに広い)。スタジアムの扉があいていたので中へ。試合もないので誰もいない。外からはなかなか立派なだが、中に入るとやっぱり日本のそれとは違い、芝もあらく、観客席には「ほころび」が見えた。が、この国でこんなスタジアムが見れたのは驚きだ。ここからスター選手が?ということだってありえるのだ。よく見ると、けっこう大きな建物も見えたりする。さすがは旧市街の外れ、新しい町が出来ようとしているのだろうか。スタジアムの前にあるメディカルのインスティトゥートへ。緑が豊かな公園のようで、誰だかの像がたっていた。

そして旧市街の路地へ。後ろを歩いていた幼い兄妹がホワッツ・ユア・ネームと声をかけてきて、スズキと答えると、お兄ちゃんがおつかいだろうか?その袋をさげながら、「へぇ〜」という顔をする。バイバイというと、そこにあった扉から中に入った。彼らの家だったのか。この町の人は微笑むとほほえみ返してくれる。ウズベキスタン人の、とくに子供たちはよく笑う。それは強く印象的だ。日本語を知っている人も多く、こんには!とよく声をかけられる。英語が話せないおじさんも、なんとなくニュアンスで通じ合えてしまう。そうそう、ダーダーとロシア語のYESを多用している。

ここからずーっと路地を歩く。生ゴミと野良犬と野良猫と、軒先にすわった人達。を眺め、野菜売りに挨拶したり。そろそろ夕陽になったか?と思う頃、迷いそうにもなった。自転車屋のおじさんが、「アルク」と指をさす。げ!アルク城まで歩いてしまった。ぐるりと一周してアルク城からまたカラーン・ミナレットへ。朝とは違い逆光だったメドレセを写真に撮る。

バザールを抜け、ラビハウズを越え、路地を通ってホテルへ。暗くなってしまう前には、なんとかたどり着いた。土の道にのこる、放棄ではいた跡。きれい好きなんだな、ウズベク人。

お湯が出るようになったシャワーを浴びる。

夜になったらまたビールを飲んで、あの男性スタッフに明日、ターミナルまでのタクシーを頼もう。ついでに列車をきいてもいい。と、日記を書き始めた。昼にかったパン、すごく美味しい。ボリュームもある。ファンタで流し込むようにパクついてしまった。

もしかしてこの国の風土はパンにあっている?と思うほど。日記を書きながら、外では相変わらず子供たちの元気な声が響いている中、また寝てしまい…。ダメだと思って一度目覚ましをセットしたが、ウダラウダラと寝てしまった。起きると真っ暗&静寂。あー、タクシー頼むのー忘れたー。

で、日記がけっこう残っていたのでそれを書き、今2時。明日は6時に起き、早めにバスターミナルに行こう。さぁ、サマルカンドだ!



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