上)ログハウス・カフェ/京都 下)中村藤吉本店/宇治

フカフカ「過ぎない」椅子と広すぎず狭すぎない空間。
空調もまた寒すぎず暑すぎない。
結局、「過ぎない」カフェというのが、読む間として最適だと思う。

3ページほど没頭してグーッと読み続け、ふとページをめくりつつ
コーヒーを飲み、ついでに周りを見渡す。
時に人は、これまた多すぎず少なすぎない塩梅で……。

喫茶店という感じをあくまでも残しつつ、カフェである開放感を併せ持ち、それでいて空気を溜める、ちょっと淀んでいる感じ。「まだ居るの」と店員さんはきっと思っている、と、自分で不安になるほど、居るときにはとことん居るわる僕にとって、ちょうどいい塩梅の、過ぎない場所は難しい。文庫本1冊がちょうど読み終わる時間、だいたい3時間ぐらいを目処にして、僕はカフェに行き、何の予定もない昼過ぎなどに埋もれることが多い。

【左】「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫著 文春文庫)
日航墜落事故、新聞記者という仕事、命の問題、社内事情、友人安田の病気、家族、息子たちとのつながり。人生って、生きていくって怒濤のように渦の中にいると、それはあっという間でも、そういう一週間なりという刹那な期間が17年という月日を超えてなお思い出される時がある。1985年8月12日、御巣鷹山に墜落したJAL123便。衝立岩への登攀とそこに隠された真実。推理小説の多い著者の中で、この作品は彼自身の12年に及ぶ記者生活が基盤にあり、書かれていることがどこかドキュメンタリーのようにも感じる。おもしろい。

【中】「サウスバウンド」(奥田英朗著 角川書店) 
抄録:「ユイマールというのは、互いが助け合って生きていく昔からの習慣のことなのだそうだ。」「おまえはおとうさんを見習わなくていい。おまえの考えで生きていけばいい。おとうさんの中にはな、自分でもどうしようもない腹の虫がいるんだ。それに従わないと、自分が自分じゃなくなる。要するに、馬鹿なんだ」「理想の楽園、パイパティローマ」。元過激派の父は東京の中野の家でゴロゴロしていた。税金を払わない。日本人にするな。国に従うな。時代遅れの共産主義者。そんな父に憧れ結婚した呉服屋の令嬢の母は、小さな喫茶店をしている。前半部分を東京の中野、後半を沖縄ヤイマの西表島を舞台に繰り広げられる超大作。登場人物それぞれに普通にありうる悩み、「小学生はなにかと面倒だ」という言葉通り、いじめもあり、家族の問題もあり・・・と。両親が子供を守るという暗黙の了解を破って、両親二人だけで理想の楽園に行くという結末。そんな両親だからしっかりした子供が育つ?コミカルに笑わせる箇所が散りばめられ、これぞ「楽しい文学」。エンターテイメントと文芸を両立させていると、思う。

【右】「観光」(ラッタウット・ラープチャルーンサップ/著 古屋美登里/訳  早川書房)
タイを舞台にした短編7編。常に「外国」と接しているタイの、それもバンコクという都会と田舎の、、、なんとなく国際的に感じるのは、著者がシカゴ生まれだから?ただ、僕ら日本人にとっては、それはなんとも「普通」というか。だからすっと入れるかわりに、欧米の各紙で絶賛されるだけの価値と驚きは感じなかった。ガイジンの娘に恋をする少年に自分の経験から反対する母親、兄を通してみる「大人の世界」を回顧するカフェ・ラブリーで。一番おもしろいと思った「徴兵の日」は、徴兵が決まってからの、腹をくくって「さ、」というなんというか諦めと、だけど義務を果たそうとするいさぎのよさ。「観光」は失明間近の母親と、将来へと盲目になりかけている少年の「旅行」。老年の最後を、その意固地さとプライドのようなものを心の中でむしゃくしゃさせる「こんなところで死にたくない」。そして、最後の「闘鶏師」は、町の有力者という、北斗の拳の世界のような、、、そんなところで繰り広げられる家族の絆を。

→Yomu Maトップへ