19世紀後半のパリ。後に印象派と呼ばれることになる画家たちがカフェやキャバレー、ダンスホールで語らい、そこでたくさんのアートを生み出した。そのパリから、バルセロナへと。カフェに集う芸術家たちは、その後の世界を形成した。カフェ(やキャバレーやダンスホール)にスポットを当てた面白い切り口の展覧会だった。
このカフェは、今の日本のそれとは印象が違う。さながらビアホール、日本で言えば居酒屋といったところ。高円寺や吉祥寺の居酒屋から若者たちのアートが形成されるように。下北沢の居酒屋から、演劇や音楽が生まれるように。大阪は千日前の居酒屋からお笑いが生まれように。エネルギーがアートに直結した感があり、見ていて面白い。
まずは、パリのカフェから。ルノワールの『パリ、トリニテ広場』やピサロの『ポン=ヌフ』、シスレーの『サン=マメス』などの作品を見ながら、クロード・モネの言葉をかみしめる。「〈カフェ・ゲルボワ〉での語らいほど興味深いものはありませんでした。そこでは意見が絶えずぶつかり合い、精神はつねに刺激されました。私たちは利害から離れた誠実な探求へと励まされ、そこで得た熱意は幾週間にもわたって私たちを支え、一つの考えが明確な形をとるまで続いたのです。そこを出るたびに、私たちは意志をより強くし、思考をさらに澄わたらせていました。」
ガストン・ラ・トゥーシュの『踊り子』などは、キャバレーの様子を描き、エドガー・ドガは屋外に出て『馬上の散策』を描いた。中でも、ジャン=ルイ・フォランの『舞台裏-青のシンフォニー』(公益財団法人大原芸術財団大原美術館所蔵)は吸い込まれるほど美しかった。踊り子の作品の中で、エドガー・ドガの『右手で右足をつかむ踊り子』の彫刻は、とても軽やかで美しかった。同じドガは『赤い服の踊り子』という作品で、女性のもつ柔らかさと影を見事に表現している。ポール・ガヴァルニの『〈舞台裏〉21』というリトグラフは、連作の中でも、ついついふっと笑顔がこぼれる作品。フェリックス・ビュオ『ピガール広場』のエッチングは、人の手による絶妙な歪みが見事な名作だ。
オレノ・ドーミエの『〈ブラッスリーにて〉2』や『〈パリっ子のタイプ〉1』、『〈音楽のクロッキー〉17』『〈ドーミエによる劇場のクロッキー〉1』などは、カフェや劇場でのちょっとした一場面を見事に表現しているリトグラフ。面白い。
シャ・ノワールに続いて開店したムーラン・ルージュ。今でも聞くこの小屋は、赤い風車の名のごとく、その風車のオブジェが特徴的な建物。ジュール・シェレの『ムーラン・ルージュの舞踏会』というポスターは、この建物の雰囲気を良く表している。『「ルイーズ・バルティ公演」アルカザール・デ・デ』の構図とフォントが個人的には好きだ。ポスターというアートの連続に、個人的には大好きな感度を感じた。ポスター芸術といえば、もちろんロートレック。それと並び称されるアルフォンス・ミュシャの『ジスモンダ』は、なんとも言えない雰囲気を醸し出している。
ジョルジュ・デヴァリエール『ミュージック・ホール』は暗いトーンなのに華やかで、優雅な空間が見事に表現されている。シャルル・コッテの『ムーラン・ルージュの女たち』は、油彩でしか出せない湿度を感じさせる。ゴッホの作品もある。『モンマルトルの風車』は、ゴッホならではのタッチで空を覆いつくし、見事なまでの陰影が重ねた絵の具の中に落とし込まれている。ロートレックの油彩もある。『ルイ13世風の椅子のリフレイン』は、キャバレーの一瞬をデッサンしたようなもの。見慣れたロートレックの感じと違うのは一色だからか。『アリスティド・ブリュアン』シリーズは、ザがつくほどのロートレック作品。やはり、この作風は、目を見張るものがある。間に、ルイ・アンクタンの『マルグリット・デュフェ公演』の愛らしいトロンボーンがアクセントになりつつ、しばらくロートレックの作品が続いていく。
『ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ』『ラ・グーリュ』『ムーラン・ルージュのイギリス人』『快楽の女王』『金色の怪人面のある桟敷席』など、油彩、リトグラフ、ポスターと、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの世界に没頭する。この三菱一号館美術館所蔵の作品も多い。なかでも、『エルドラド、アリスティド・ブリュアン』は、なんともロートレックらしい作品だ。
個人的には、アンリ=ガブリエル・イベルス『カム=ヒル「カフェ・コンセール」』は少ない線で、見事に男性の、歌っているような語っているような、その一瞬を表していて好きだ。この「カフェ・コンセール」の一瞬は、ロートレックも描いており、『観客席の女』も面白い。名作『ディヴァン・ジャポネ』も見ることができる。
これはロートレックか?と思わせるものもある。『ロイ・フラー嬢』の連作は、しばらく眺めてみて、この赤と青が、赤と青ではない色に認識できて、ものすごく原子の部分を感じたりする。
イベルスに関しては『パントマイム「レスタンプ・モデルヌ」』は、個人的には一番好きな作品。ものすごく不思議なのに、ものすごく自然な三人の構図が絶妙だ。そして『サーカス「レスタンプ・モデルヌ」』と続き、色彩の感覚とイラストチックなのに、アートな構図にグッとくる。
テオフィル・アレクサンドル・スタンランの『シャ・ノワール巡業公演』は、圧倒的な存在感の黒猫がにらみつけるようにこちらを向く。アドルフ・レオン・ヴィレットは『「放蕩息子」ブッフ・パリジャン劇場』でフォントを多用した中に淡い絵を描いた現代でも通じるポスターをリトグラフで表現した。その他、アンリ・リヴィエール『エッフェル塔の建築現場』という木版や、フェリックス・ヴァロットンの『「ニブ」誌、第2号』の洗練された構図と白と黒を絶妙に使い分けたリトグラフや『大騒ぎ、あるいはカフェの情景』という木版など、見ていて面白い作品が続く。
ピエール・ボナールの『ピガール広場』は、ぐっと印象を変えた油彩で、広場の周囲のカフェやキャバレーのある雰囲気を表し、ヴァロットンの『公演、夕暮れ』では、ゴーガンに触発されたタッチで普通の光景の一部を重いトーンの色彩で浮かび上がらせた。
そして、バルセロナへ。パリのシャ・ノワールというキャバレーを意識して創られた〈クワトラ・ガッツ(4匹の猫)〉。ここは現役のカフェで、かつて若きピカソも通ったバルセロナ随一のカフェだ。パリを文化をバルセロナへと移し、そしてそこカタルーニャ独自の近代芸術運動をはぐくむまで、このカフェはバルセロナの中心になっていく。
ラモン・カザス『ペラ・ロメウと4匹の猫』は鉛筆でかかれた名作で、『マドレーヌ』は引き付けて離さない女性を見事に描き出している。サンティアゴ・ルシニョルの『カフェ・デ・ザンコエラン』は息をのむほどの美しい写実絵画で、奥行きというか、色の重厚感が素晴らしい。ラモン・カザスの名作、『アニス・デル・モノ』は、魅力的な女性と、左手を繋いだ猿が、なともバランスよく魅力的なリトグラフになっている。
もちろん、ピカソの名作もある。『カンカン』は躍動感あふれる構図で初期ピカソの世界観がしっかりと出ているし、ほとんどの作品のカメラ撮影は可能だったが、ピカソの作品は撮影不可というのもあった。この頃、バルセロナとパリを往復していたピカソは、クアトラ・ガッツを拠点とする人たちと交流を重ね、自身の生活や作風が移り変わっていく。青青の時代の名作『ロマの女』は、暗く悲しい青ではなく海の青が鮮やかな作品になっている。一方で『酒場の二人の女』は、これぞ青青の時代のピカソの作品。背中で語る女の構図が、なんとも言えず絶妙だ。『貧しき食事』というエッチングも、パッと思いつくピカソの作品とはかけ藩れて暗く、重く、痩せこけて、なのに目を引く二人が寄り添い方を組んでいるという名作。モディリアーニの『青いブラウスの婦人像』と相まって、この世界観は個人的に大好きなものだった。
モーリス・ユトリロの『ムーラン・ド・ラ・ガレット』は、ゴッホの風車の絵と同じような構図を持つが、どっしりと重く暗い感じがして、手前のバラックのような箇所から匂いが漂ってきそうな一枚。『雪のラパン・アジル』は、ユトリロ自身が何度も描き続けた文芸キャバレーラバン・アジルの雪の一日を。
パリで花咲いて、どんどん表現が豊かになる芸術と、そのパリの店と人と空間感が、一つのテーマで集められ、しかも、それがバルセロナへと移って再びパリへ終結するという時間の流れまでを感じさせてくれる。ものすごく特異で、満足度の大きな展覧会だった。







































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Artists at the Cafe:From the Impressionists, Van Gogh and Toulouse-Lautrec
to Picasso
“カフェ”に集う芸術家 ー印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで
@三菱一号館美術館(東京)
2026年8月1日(土)

