サッチャー政権後、1990年代のロンドン文化は、確かに特異だった。
1992年に高校1年生、1999年に社会人1年生になった私は、
個人的に、この90年代を高校生から大学生として生きた。
そして、いつも、かっこいいロンドンに刺激された。
映画はもちろん、写真、音楽、サブカル。
カムデンロックからの風も、遥遠くの日本で感じようとしていた。
この展覧会は、そんな90年代のイギリス(特にロンドン)に起こったアートシーンを、
テート美術館が選び抜いた決定版として企画された展覧会。
「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」と呼ばれた彼らの残した大衆文化を、
これでもかというほどに堪能できる構成になっている。
まずは、フランシス・ベーコンの「1994年のトリプティク(三幅対)の第2ヴァージョン」が
どんと現れる。変な言い方をすれば”ちゃんとアート”な絵画。
赤が飛び込んできて、像の鼻のようななんだか不思議な物体に焦点が合いだすと、
あれ?と不思議に感じる作品。
右を向けばブリストル生まれのスター、ダミアン・ハーストの初期作品が。
「後天的な回避不能」と名付けられたインスタレーション。
ガラスケースの中のオフィス空間は、
今の時代から見ればよくあるタイプのシェアオフィスのようだが、
この時代に、これだけの無機質な空間はなかったのか。
生を感じさせない空間として表現されているようだった。
ギルバート&ジョージの「裸の目」は、原題が「Naked Eye」。
この「アイ」が目と私のダブルミーニング。
「目」が「私」以上に主張している構図が印象的な作品。
マーク・ウォリンジャーの「異父兄弟の競走馬(イグジットトゥノーウェアとマキャベリアン)」は
おもしろい作品。普通に上手な馬の絵が、ハーフブラザーとして合わされば、
こうなるのかと気づかされるアート。
個人的にグッときて大好きになった作品、
ルベイナ・ヒミドの「二人の間で私の心はバランスをとる」は、
現在のタンザニア生まれの作家が、これまでの人生を表現したかのような作品(に感じられた)。
二人の間にある本のように積み上げられた「感情」が、
地層のように重なって、バランスを取られて安定しているように見える。
現代アートなので、もちろん動画の作品も多い。
「ハンズワースの歌」という、1982年から1998年までの活動をまとめた長編の作品。
木の椅子でお尻がいたくなるほどの61分間。
黒人、インド人、白人、暴動、差別、警官の黒人に対する暴行。
移民の多い国では、今でもなお続いているような出来事を、時折詩的にまとめた作品だった。
サイモン・パターソンの「おおぐま座」は、
チューブの路線図にスターの名前を配置した遊び心あふれる作品、
キース・コヴェントリーの「バージェス・パーク SE5、1983年植樹、1988年に伐採」は
公共空間で目にする植樹とそれを支える杭を鋳造した作品、
リサ・ミルロイの「フィンズベリー・スクエア」は、
カンヴァスに油彩で描かれた無機質で冷たさを感じる綺麗すぎる住居。
この美しい能面のような集合住宅はしかし、今の時代、そこらじゅうにあるようにも思える。
ものすごくシンプルに、強烈な色彩と形状で印象を残すジュリアン・オピーの作品が二つ。
「都市の風景?」と「車?」。これらのスクリーン印刷は、個人的に大好きな作品。
今でこそ、コンピューターでササっと作れてしまいそうだが、
よく見ると、この構造はとてもオリジナル。
特に、「都市の風景?」は、車と歩く人、ビルの窓と壁が、線で遊んでいる。面白い作品だ。
そして、「ゲイリー、ポップスター」は、この作品展の顔となった作品。
90年代の後半、こういう作風が一世風靡した記憶がある、日本でも。
ジェレミー・デラーの「世界の歴史」は、
伝統的に炭鉱労働者の連帯を強化する役割を果たしたブラスバンドと、
90年代に不満を抱えた若者世代に一体感をはぐくんだダンスミュージックの
アシッド・ハウスを結び付けた作品。
こればかりは、この時代の英語圏での暮らしが背景にないと分かりにくいかと。
そして、ヴォルフガング・ティルマンスの写真が並ぶ。
今回の展覧会の顔として、ジュリアン・オピーと並んで彼の「ザ・コック(キス)」も顔となっている。
シーマス・ニコルソンの「オリ」は、
まるで中世ヨーロッパの絵画のような構図で撮られた写真、
中央の男性は放尿している(モデル)。
「THE FACE」の表紙は、なんとも90年代ロック。
ジャミロクワイにオアシス、ニルヴァーナというロンドン黄金期。
アニッシュ・カプーアの「傷と不在のオブジェクト」、
マーク・クイン「逃げる方法が見当たらないW」、
デイヴィッド・ロビリヤード「That Beat It Quickly Smile(早くイッて、笑って)」と
同じ空間に違う趣の作品が並ぶと、空間がグッと面白くなる。
医療系という(強引な)まとまりで、
デレク・ジャーマンの「運動失調ーエイズは楽しい」を眺めていると、
昔サザンのアルバムにこんなジャケ写があったような、と思って、それしか入ってこなくなったり。
マーク・フランシスの「起源」は、拡大された精子がモチーフ。
すごく美しいパターンとなって作品化されている。
家族の風景を撮ったリチャード・ハミルトンの
「一体何が今日の家庭をこれほどに変えているのか?」は、ポップアートのコラージュ。
それぞれの意味を知っていけば、この写真がグッと深くなる。
中央の白いレンジの前のベーコン?など。
今回の展覧会でもっとも大きな作品である
コーネリア・パーカーの「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」は、
よくみる現代アートのインスタレーションといった感じ。
下から見上げたら、とても不思議な感覚に陥る。
なんとも可愛らしくて、シンプルで、これをアートとした時点で勝ちだと思わせるのが
アンジェラ・ブロックの「ウェストハムーサッカーの歌のための彫刻」、
とても印象的な大きさと色彩と形のマイケル・クレイグ=マーティン「知ること」、
1991年にローマで1年滞在したゲイリー・ヒュームが残したコラージュの連作、
そして、シール・フロイヤーの「モノクロームのレシート(白)」と続いて展覧会は終わる。
このレシートをアートにしたところが、
難解さを極め始めたというか。
この展覧会に展示された作品(レシート)は、作者が指定した「白い」ものを
六本木のファミリーマートで買ったもの。
平日の開館直後にいったので、人も少なく(どこかの専門学校の学生?が団体で入場していたけど)、
全体をゆっくりと見て回れた。それぞれを、アートとして感じつつ、
この30年を振り返れば、この90年代のロンドン文化が色濃く残っていることに改めて気づかされたりする。
































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YBA&BEYOND: British Art in the 90s from the Tate Collection
テート美術館 − YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート
@国立新美術館(東京)
2026年2月26日(木)
