河瀬監督作品ならではの感情へダイレクトに突き刺してくる作品。特にこの作品は、心臓をぎゅうっと掴んで、ドクドクと鼓動させられる作品だった。屋久島の神秘的な森の光景、川、風、雨が劇場の音響効果を最大限に生かして(テアトル新宿)体中を包み込む。そこへ現れる迅という男性。その彼もまた幻想のようだった。美しいキスシーンが印象深い。アップになる絵の持つ力。自然の音の中に、川の中に、滝の中に、吸い込まれるような「生」、「命」。英語のタイトル、屋久島のイルージョンが、しっくりとくる。
主人公のコリーが勤務するのは神戸の病院、小児科。彼女の自宅での迅との生活。阪急電車の轟音と静かな日々。病院内で行われる移植に関する会議。静かで、とても深く、ものすごく重いやり取り。生きるとは、命とは。心臓という「臓器」を移植するという倫理観の、スペインと日本の違い。その差。人の「いのち」をもらってまで生きたいか。順番を何年も待ち続けている人と、すぐに臓器移植が決まる人との差。その視点が、親だから、なおいっそう迫って来る。入院しているのはみんな子どもであるという設定が、脳内を揺さぶる。これは、私自身が親であるからというのも大きく影響している。
頭の中をしぼるように涙があふれる。病院、友達、その友達の死。重い涙だった。ストーリーは、一つひとつの命を巡ってゆく。子どもを救えず、狭い病室で何年も「戦う」親たちへお弁当を届ける元警察官の親。北海道から入院し、弟にも会えず臓器提供を待ちながら、明るく入院している少女。その彼女の死。
心臓移植。一昨日まで元気に走り回っていた子どもが脳死状態になり、臓器提供の説明を受ける親。その臓器を待っている子どもがいるという現実。日本における人の死とは違う価値観。臓器提供が進んでいない日本の状況は、やはり日本人にとっての「死」の意味合いからくるものだ。
この作品で、川瀬監督は何の答えも出していない。ただ、現状を、コリーが回るビデオカメラに乗じて淡々と伝えていく。それだけに重い。
最後の移植シーンのリアルさが、もしかすると、川瀬監督が見せたいことの、唯一にして最大のものかもしれない。屋久島における大自然の「音」と、移植主日で心臓が「再び」鼓動する「音」。
答えの出ない、声にすらならない、ましてや言葉になどできるわけない感情が、この作品を見終わった後、あふれ出てくる。
とても良い作品だった。
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たしかにあった幻
Yakushima's Illusion
2026年(日本)
監督・脚本:河P直美
出演:ビッキー・クリープス
寛一郎
尾野真千子、北村一輝
永瀬正敏、中村旺士郎 他