犬(ペロス)のような愛(アモーレス)。ある青年は兄嫁に恋をした。ある女性は家族ある男を好きになり、ある老人は別れた家族への愛を追う。

闘い続ける犬、床の下に迷い込んだ犬、拾われ生かされた犬。

冒頭、猛スピードで走る車に、血まみれの犬がいる。追っ手から逃れる車。犬は死ぬのか、追っ手に捕まるのか。スピードを上げた車が、交差点でクラッシュする。当てた車、と当てられた車。そこに居合わせいち早く駆けつけたリアカーを引く者。一つの事故にからみあった三者三様の「リアル」をオムニバスで描き、それが最後に繋がる。1999年の作品だ。今となってはどこかで聞いたことのあるストーリーでも、この構成はなかなか見事だと今みても思う。

そもそも、この映画は、「21g」や「バベル」で話題を呼んだアレハンドロ・ゴンザレス・イニャトゥ監督の作品。友達から「面白い、面白い」とさんざん聞いてきた。巡り合わせが悪く、なかなか見れなかったが、たまたまレンタルビデオ屋の名作特集の棚で見つけ、「ある程度予想をつけて」見始めたところ、ドはまりした。面白いと聞いてハードルが上がっても、それを簡単に飛び越えるほどに、この映画はいい。

それは「流される」という情をうまく描ききっているからだろう。暴力におびえ、それでも夫を愛す妻は、同居する弟から「一緒に逃げよう」と言われ心が動く。闘犬で一儲けした弟は、二人の逃亡資金を彼女に預ける。そして、弟は、増えていく「資金」の中で麻痺したように、それまで恐れていた「兄」を完全に消そう(邪魔ができないようにと)とする。逃亡を決めた日、兄は弟から依頼された集団によって袋だたきに遭う。弟からすれば、逃げるためのカネは集まり、最大の敵(兄)も遠ざけた完璧な状況。の、はずだった。が、肝心の彼女は、袋だたきにあった夫を見て、彼と一緒に逃亡する。弟がためたカネをもって、夫(兄)と一緒に。この一連の描き方が実にうまい。そして、弟はと言えば、儲けの波の上で歯止めがきかず、最後の大ばくちに出て、愛犬を撃たれ、それに怒って相手を刺し、そして追われて事故に…。

クラッシュした車に乗っていたのはスペインからやってきた売れっ子モデル。街には大きな看板広告があり、彼女は得意げにポーズを決めている。側にはいつも愛犬がいる。家族のある男を奪い、事故で美貌も仕事も失った彼女から、愛犬までどこかへ迷い込み…。床に空いた穴。そこに迷い込んで出られない愛犬。彼女は、苦しいと泣き、その声は届くが、決して見つけ出されないような暗がりにはまりこんでしまうのだ。もはや看板広告のように、美脚をひねることも、腰をくねることも出来ない。車いすから倒れ落ちた彼女は、床の下から聞こえる愛犬のなきごえを追って、床をたたき割る。床をはがす。そうやって必死に探す「彼女」。自分自身の境遇の、明るい出口を探しているかのように。それは荒々しく無力に映る。

共産主義者、反政府の活動を続け、逮捕された男は、昔、家族と離ればなれになった。老人となった彼は、殺し屋として生き残っている。弱きモノの象徴のような捨て犬を助け、それらを何匹も引き連れて、老人は伸び放題の髭と髪の毛をしわくちゃにして生きている。クラッシュした車から、老人は犬を助け出す。(運転席で苦しんでいる男からお金を盗んだあとに)。その助け出した犬が、元気を回復していくことが、老人にとっても、希望の兆しのようで。ある日、犬を置いて自分の仕事(スナイパー)にとりかかり、うまく行かず住み着いた空き家のような場所に帰ってくると、助けた犬が他の犬を食い殺していた。元々闘犬として生活していた犬だ。弱り、助けられ、元気を取り戻すと闘犬の血が騒ぐ。このあたりの「ノーコントロール」なメタファーも非常に深いように思う。老人は、依頼通り狙った男を縛り上げ、依頼になかった監禁を犯す。依頼主をも縛り上げるあたり、これが強弱とか善悪とか、そういうはっきりした構図を持たせない意図だと感じられ、ますます物語の中に引き込まれる。



ラストシーンを書くつもりはない。そもそも、ラストシーンなどないのだろうとも思うからだ。映画は確かに終わり、エンドロールも始まるが、続きのある三人のストーリーを、頭の中で思い返しているだけで、いつまでも続き、どのように展開するような。つまりは、非常にリアルを感じさせてくれる映画なのだ。



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アモーレス・ペロス
AMORES PERROS
1999年(メキシコ)

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本:ギジェルモ・アリアガ・ホルダン
出演:エミリオ・エチェバリア、ガエル・ガルシア・ベルナル、ゴヤ・トレド、 アルバロ・ゲレロ、バネッサ・バウチェ、ホルヘ・サリナスほか