I'm not there. おれは、そこにいない。
このタイトルが、まず素敵だなと思った。これはボブ・ディランの曲のタイトルで、1967年「ベースメント・テープス」のセッションでレコーディングされた曲らしい。が、海賊盤でしか流通しておらず、正式に発表されたのは今回の映画のサントラが初だとか。そう、これはアメリカの『ローリング・ストーン』誌が行った「現代のもっとも偉大なアーティスト」ランキングで、ビートルズに継いで2位になったボブ・ディランの生涯からインスピレーションを受けて撮られた映画だ。ドキュメンタリー以外でボブ・ディラン本人が公認した初めての作品となる。

ボブ・ディラン。ぼくは、この「歌手」をよく知らない。なんか暗い、ぐらいのイメージしかなかった。が、映画を見てみて、そのクオリティの高さに驚き、彼の持つ歌手以外の顔に興味を持った。この作品は、別にボブ・ディランが云々ではなく、一つの作品として素晴らしいのだ。映像も、テンポも、セリフの量も。

ストーリーは、黒人の子供や女性など、様々な「人」が演じる6人のお話で構成されている。そして、それぞれがパッチワークのように一つになり、イコール「ボブ・ディラン」へと繋がる展開。(1)詩人のアルチュール、(2)アウトローのビリー、(3)映画スターのロビー、(4)革命家のジャック、(5)放浪者のウディ、そして(6)ロックスターのジュード。過去・現在・未来の時間軸は混在して、それぞれの人生が入り乱れて展開されていく。

昔はこうだったのに変わったとか、成功を収めて夫婦生活に亀裂が生じるとか、キリスト教に傾倒してゴスペルを歌うとか。点でバラバラの展開が、一つにまとまっていく様は、再び貨物列車に飛び乗り、「ファシストを殺すマシン」と書かれたギターケースからギターを取り出し、アウトローのビリーがギターをつま弾くシーンで完結する。なるほど、とよく分からないがイメージの世界でちゃんと繋がってくれる。それも、恐ろしく自然に。

フォーク・ソングからロックンロールへ。「確かに何かが変わろうとしている、のにそれに気づいていない」。このセリフは、別にベトナム戦争がどうとか、歴史がどうとか、そんな一切合切は関係なく、今の時代にもある。それに気づけるかどうかの違い。そこに、今年5月で67歳になるボブ・ディランの、未だ続く「姿」が重なるように思える。

ふと、ぼくはインドの三大神を思い出した。創造神ブラフマー、存続神ビシュヌ、そして破壊神シヴァ。彼が生まれた時、すでに世界は創造されていた。そして、維持され発展していた。が、社会には歪みがあり、そこに、破壊をもたらした。そうやって築き上げた自らのイメージさえも、破壊し、「再生」したディラン。≒シヴァ。彼は、過去じゃなく「今」を、もっと正確に言うなら今から少しだけ先に進んだ未来を、必死で表現し、惰性で動く流れに「抵抗」していたのではないか。

この6人を通して共通するのは「抵抗」だ。

別に、社会に対するメッセージをこめたフォークソングを捨て、流行(商業主義)のロックンロールに変わったとしても変わらない抵抗がある。自分の歌に込めた意味なんて、大げさに捉える必要はない。やりたいと思うことを、やりたいときにやる。

ラストシーン、ディラン本人の映像で、「ミスター・タンブリン・マン」が、静かに、そして強く演奏される。ブルーハープの音色が、滲みる。

良い人生だな、とボブ・ディランに対しては思わない。が、良い映画だなとは思う。彼の人生を描いた映画が良い、ということは、どういうことかを考えてみる。



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アイム・ノット・ゼア
I'M NOT THERE
2008年(アメリカ)

監督:トッド・ヘインズ
出演:クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャードギア/ヒース・レジャー、ベン・ウィショーほか