クルクルと回転しながら安定感を無くした繋がり。家族のカタチを、東京郊外の「団地」に住む一家を通して真正面からとらえた作品。

階段状の「夢」の団地も、ラブホテル「野猿」のベッドも、クルクルと回る。不安定ながらもその「カタチ」を留め、そんな舞台で、人は生活し幸せを死守する。【学芸会】だと言われた家族の食卓。上っ面だけの笑顔と会話。

「浮かれてない、地に足がついた暮らし」
娘は、そんな農家の暮らしをうらやむ。弟は、パソコンの中の仮想空間で、現実を創り上げようと静かに耽る。『空中庭園』には、色とりどりの草花が殺虫剤をまかれて咲いている。

隠し事をしない、というのが家族のルール。そんなルールの中で、母は自分の過去を消し去り他のものに変えていた。父はオロオロとしながらウロウロと女の尻を追う。学校に通わない娘は「お菓子」を食べ、弟は小難しく世の中を分かった風に生きる。つまり「隠し事」だらけの四人が、「カタチ」だけを守る家族。

ある朝、娘は両親に自分の−出生決定現場−自分が仕込まれた場所がどこかと尋ねる。近所のラブホテル「野猿」だと知ると、娘はそこに行き、他の男に抱かれる。もう家族は崩壊しているんだよ、と赤いジャケットの男は叫び、ここでも、回転するベッドの上で「愛されたい」欲望を強要している。

繋がりの途切れた、カタチだけの家族。

団地、郊外のショッピングモール、そして観覧車。映画の中に出てくる要素の一つひとつが、過去のカラフルさを失った現実のモノクロームに写る。

息子は言う。「思いこみは、本当のことを見えなくする」と。バーチャルな空間に現実のパーツをはめこむ彼は、できあがった「ありのまま」を現実だと理解する。「マンションの設計士は、同じ角度に窓をつくれば、同じだけ日が差し、同じだけ幸せになれると思ったんだろうか」。そんな疑問を抱く。
この一家に、「学芸会」だと言い放った女は、この彼のこんな疑問にもあっさりと答える。「日が差すのは、洗濯物が乾きやすくするため」だよ、と。

嘘、嘘、嘘の上塗りでつなぎ止める家族。
ため込んでいたものをはき出す母(妻)の言葉。「あんた、死ねば」……。

この映画は、団地に住む核家族の、普通一般のサラリーマン家庭の、もっといえば、ガーデニングで花に囲まれた幸せの、そんな上っ面の下、深い真の部分をえぐってくれる。


「人間は泣きながら、そして血まみれで生まれてくる」
学芸会の終止符は、母(妻)の爆発だった。知らない振りでやり過ごしてきた「これまで」を告白することで、ギリギリつながっていた家族が崩壊する。

雨の中、母(妻)はベランダで、赤い雨をあび、血まみれのようになって叫び泣く。
この「再生」のイメージ。生まれ変わったというメッセージ。

ラストシーンで見せた家族の繋がりは、母(妻)に贈る誕生日プレゼントは、「家族とは決してそんな薄っぺらいものじゃない」という意味にもとれるし、本当の家族を取り戻した再生だともとれる。

非常に良い作品だと思う。


→ CinemaSに戻る


空中庭園
2005年 (日本)

監督:豊田利晃
原作:角田光代
出演:小泉今日子、板尾創路、鈴木杏、広田雅裕、瑛太、ソニン