「届けきる仕組み」
雨期に入る寸前のホーチミンは、風があって、そこまで暑さを感じない。ちょうどいい、と感じるのは、ホーチミンというところは、うなるほどべたつく暑さ、というイメージがあったからか。
先週一週間、ホーチミンにいた私は、帰国して「どうでした?暑かったでしょ」という問いに、いや、それほどでもと思いながら、先に述べたバイアスが影響しているかも知れないので「あ、まぁ、はい」と答えたりして。
四季のあるハノイと違って、年中38度のホーチミン。同じベトナムでも、色々と違う顔をもつ北と南の大都市は、かつて戦争していたという過去を持ちます。それが過去ではなくまだ繋がっていると感じる場面もちょこちょこあって、本当、戦争ってなんなんだろうと思い。
イスラエルとイラン。また、攻撃と報復の最悪なサイクルに入ろうとしています。
戦争というものが、どういうもので、どんな結果を生むかを嫌というほど知っているはずなのに、同じように繰り返してしまうことに、なんとも言えないやりきれなさを感じると共に、「そこ」で起こっている凄惨な出来事に、目を伏せていてはいけない気がします。
世界中で見ている。世界中が見ている。同じ地球で、同じ空の下で起こっている。その一瞬一瞬を、短文でまとめられたニュースをスマホでさっと読んで流してはいけない。
一体、何ができんだろうか、考えてみることからでも始めるべきですよね。
世界の人口は80億人を超え、世界一人口の多い国、インドには14億人がいます。人口減少が続く日本とは違い、若い世代が国のボリュームゾーンにあり、人口を多く抱えて市場の成長も期待される中、しっかりとした制度とルールで一枚岩になって成長できるか。
アジアを見ても、アフリカを見ても、欧米や東アジアが発展してきたような同じ流れを持つのに、なかなか成長しきれないでいる姿を見ていると、国民の秩序、そして勇気と意志の大切さを思います。
一つには教育の大切さがあるように思います。義務教育とはいえ、お金が必要な国が多く、教育をうけさせる義務を放棄する親が子供を労働力として使ってしまう。その子が親になると、またそのサイクルを繰り返す。
このサイクルにこそ、国からの援助、それは直接的な資金の援助が不可欠だと思います。そんな資金援助ができるかどうかは、国が繁栄しているかどうかによるのですが、これはいわゆる「たまごが先かにわとりが先か」と同じで、、、
国の発展は、子ども達への教育が実るかどうかで変わってくるのだと思います。そんな子ども達の作る国が発展して、そうすると、その後も資金援助できるサイクルになって国が発展していく。
最初は、だから、「そういう国」への援助を世界中の豊かな国が行い、その資金がダイレクトに子ども達へ行くような仕組み作りをする。そこから始めなければ、腐敗し、既得権益にしがみつき、国の制度もルールもあったんじゃない、という所では届きません。
しっかりと、届けきる。声をあげるなら、手をさしのべるなら、しっかりと届けきる術を確立出来れば、世界は大きく変わるような気がします。デジタルネイティブの若者が、この先の未来を変えるような、届けきる仕組みを作ってくれそうで。
いつか、これまでの常識をガラッと変えるような、歴史上に何度もあった「それ以前とそれ以後」を分けた発明が出てくれば良いのに。
戦争、貧困、無教育。それらが起こす負のサイクル。世界からのニュースを見聞きしたり、この足で歩いた外国で身に染みたりした、そんな一つひとつに終止符を。
自分に出来ることは、もちろんしますが、自分には出来得ないことは、それができる人をしっかりと応援したい。半世紀近く生きてきた身からすれば、自分がプレイヤーというよりは、プレイヤーを見守り応援する立場になったのだと、最近、よく感じます。
昼下がりのホーチミンで、バイクに一杯の板を積んで走る老人が、周りから強烈なクラクションを浴び、歩道に乗り上げようとしたときに積んでいた板がバラバラと落ちて散らばりました。
あららぁ、と私は眺めるばかりで、後続の車やバイクからはなお一層、激しいクラクションがあがり。バイクごと転んだ老人は、ゆっくっりと立ち上がり、クラクションを鳴らす相手に、なにやら文句をいっているような雰囲気で。
なんだよ、うっせえな、落ちちゃったんだよ、しょうがねえだろう、という感じの老人の側に、さっと走り寄って板を広う若者がいました。最近増えてきたという金髪に、ピアスをあけた緑シャツのおしゃれな若者。ソウルの街に居てもおかしくないほどのその若者は、黙って、板を拾い集め。
バイクを起こし、その荷台に並べていき。ササッと板を拾い終えたら、何も言わず、立ち去っていきました。「ありがとうよ、お若いの」と、その老人が言ったかどうかは分かりませんが、なんだか、気持ちのいい光景でした。
敬う。格好こそ、東京や台北、ソウルなんかの流行に合わせて(10年ほど遅れて)変わってきたホーチミンの若者にも、そんな気持ちがあるんじゃないかと思えて、それもまた良いなぁ、と思いました。
何年か前、CMでレジで手こずるおばあさんの後ろで、ラッパーが「そんなあせんなくていい、自分のペースでゆっくりと」と歌うのがありましたが、人は見かけだけでは判断できない。
いや、人だけではなく、街も国もぜんぶ、見かけだけで判断して、勝手に思い込んで憎んだりしてはいけないことを、今一度、深く刻みたいと思います。
昔、天声人語にイスラエルは憎く、倒したいというパレスチナの少年の話がありました。続けて、「ぼくはイスラエルの人を見たこともなければ、話したこともないけど」と。
見かけどころか、見たこともないものを憎むという最悪の状態に、真っ白な無垢の子供たちがいるということに無念さと同時に怒りさえ感じます。
まずはデジタルネイティブよ、全世界中に、全世界中を「ちゃんと正確に見せる」方法を、何か考えてみてもらえないだろうか、と願ってみたりするばかりです。
どんよりと今、外は厚い雲に覆われています。今週は雨が多そうです。
2024年4月21日
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